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ユミは、一年生になったお祝いにおとなりのおばさんに日記帳をいただいたのだが、書きはじめたのは、夏休みになってからだった。庭の藤棚にきじばとが巣をかけてたまごをあたためはじめたからだ。 七月二十三日 「すが、できた。いつも一わ、すわっている。たまごをあたためているんだね。いくつ、うんだのかな」 八月三日 「すのしたに、ひながおちて、しんでいた。 まだ、はねがはえていないはだかんぼ。かえったばかりのひななんだね」 こんな風に日記はつづき、孵(かえ)った最初の二羽のうち、一羽は羽も生えないうちに落ちて死に、もう一羽はとびはじめるころに庭に落ちて犬にかまれて死んでしまう。 二回目の営巣も一羽はまた死に、ようやく四羽目が無事に育つ。 これは、じつにみごとに組み立てられた作品だと思う。 一年生が、ともかく自分を文字で表現できるのは一学期が終わってから。むろん、書けるのはせいぜい短い事実だけ。ひなが死んだ悲しみまではとても、言い表せない。出来事を説明する部分も事実を語るだけだ。 だが、少女の深い悲しみや歓喜は十分に盛り込められている。そこのところの凝縮度がすごい。(神宮輝夫)
産経新聞 1996/12/06
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