”機関銃要塞”の少年たち

ロバート・ウェストール
越智道雄訳/評論社/1975

           
         
         
         
         
         
         
     
 本っていう商品は中味を確かめずに買うものですから本屋でうろうろと物色しているときは、どこかギャンブルめいていて、スリリングなものです。時に書棚から自分を呼んでいる本に遭遇することも。この本とはそんな風にして出会いました。それはもう、表紙デザインのよさ。
 中味がどうであれかまいませんでした。
 ところが、読むと物語もおもしろい。
 私がうなってしまったのは、戦争と子どもの描き方に関して。日本の子どもの本には「戦争児童文学」という奇妙な項目があります。でも「戦争」物ではなく「反戦」物。
 こういうくくり方は、個々の物語に触れる前から、その項目に属するそれの中味は透けて見えていて実にまずい(くくれてしまう物語が多いのも確かです)。そこでは殆どの場合、「子ども」=「一番の犠牲者」として扱われます。でも、戦時下であれ平和時であれ、子どもは子どもを生きるしかないのですから、まずそこを描いて欲しい。そうすれば「戦争」は自然に立ち現れてくるはずです。
 正しい意見を述べた「戦争児童文学」はもう結構と思っていたとき出会った『”機関銃要塞”の少年たち』の子ども達のリアルだったこと!
 舞台はイギリスの海辺の町。大人達はいつドイツ軍がここから上陸してくるかと戦々恐々。そんな中、主人公のチャスを中心に子どもたちの日々が綴られて行く。いじめ、いやみな先生、対立するクラスメイト。いつの時代にもある学校風景。違うのは彼らのコレクションがポケモンカードではなく、薬きょうや飛行機の残骸などであること。ある日チャスは墜落したドイツ軍機から無傷の機関銃を手に入れる。最高のコレクション! でもこれを自慢して回るわけには行かない。しかも重くてとても一人では運べない。こうしてチャスは仲間を集め、右往左往している大人を尻目に、海岸沿いに要塞を作り上げる。この町をドイツ軍から救えるのは大人ではなく俺達だ。
 ここには受身の犠牲者としての子どもはいません。大人と同じように戦時下を生き、愛国心を高ぶらせている子どもです。作者はそれ以上何も付け加えません。だから私は戦時下の子どもをそのまま受け止めることができたのです。
 続編があるんだけど、訳されないかなー。(ひこ・田中
TRC通信12月号