きみなんかだいきらいさ

モーリス・センダック
こだまともこ訳 冨山房

           
         
         
         
         
         
         
    
 モーリス・センダックの『きみなんかだいきらいさ』の原画を見つけました。でも何だか感じが違います。よくよく見てみると、男の子の様子も色使いも見慣れた絵本とはちょっと違う。センダックはこの小さな絵本の表紙のために、何枚かの異なった絵を描いていました。
 センダックと言えば、現在、アメリカを代表する絵本作家。日本でも人気の『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)や『まよなかのだいどころ』(冨山房)に、『まどのそとのそのまたむこう』(福音館)を加えた三冊は、絵もストー リーもセンダックが手がけた、彼の「内なる子ども」を描い三部作。これが結構暗い。センダックの「内なる」暗の部分が底流に感じられるものですが、この暗さこそ彼の魅力といえます。
 センダックは、『よなか…』の舞台となったマンハッタンのきらめく夜景を川向こうに眺めるブルックリンの下町に、ポーランド系ユダヤ人の移民を両親に生まれました。幼い頃の彼はとても病弱で、母親とともに多くの時間を台所で過ごしたといいます。彼自身「私はみじめな子どもでした」と語る位ですから、いささか暗い子供時 代であったのでしょう。
 センダックの中には、移民の第二世代としての憂鬱とともに、子ども時代のとまどいや怒り、怖れ、激しい愛憎や羞恥心が人並み以上の記憶として残っています。そうした自らの子ども心をユング的精神分析よろしく、深ーく掘り下げ、これでもかこれでもかと描き上げていくのです。
 そのせいか、センダックの描く子どもは、一様に可愛くない。子どもは、明るく健康的で愛らしいものなどといった固定的な約束をもたないのですし、それも額けます。
 一九六三年に『いじゅう…』が出版された時、アメリカ中の多くの図書館員がこの本は子どもには怖ろしくて不適切と排斥した話は有名。『かいじゅう』が大人の目にはショッキングで、居心地悪い存在であるのに反し、子どもにとってはまさに今自分の中 にある感覚や感性に重なるものだったのでしょう。大人の予想を超えた大人気を博しました。
 さて、再び『きみなんか…』ですが、これは先の三部作と違い、他の作家の文章に絵を描いた絵本です。親友のジェームズとぼくの仲良しぶりとけんかっぷりを淡々と描いたこの絵本は、自らの子ども時代に拘泥していない分、軽妙な味わいがいきています。特に子どもの表情は秀逸。確かにこれもぱっと見は可愛くないふたりの男の子がすねたり、おこったり、いばったり。子どもらしい幼い思考や行動が生き生きと描かれた秀作 です。私のお気に入りの絵です。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「もっと絵本を楽しもう!」1996/1,2