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ここ数年、僕は原稿を書くとき、「子ども」「子供」「コドモ」という表記を意識的に使い分けている。それは、現実に生きている生身の「子供」と、物語に描かれる抽象としての「コドモ」と、(主に教育に絡んで)大人の中にイメージされる観念としての「子ども」とを区別するためで、この三者を一応分けて考えておかないと(児童文学の場合は特に)話がややこしくなってしまうのだ。 そんなことにこだわってしまう僕のような人間にとって、この二冊の評論は深く考えさせられるものだった。というのも、『日本児童文学の現代へ』は「子ども」という問題について書かれたものであり、『〃子ども〃というリアル』は「子供」について書かれたものだからだ。 『日本児童文学_』は、敗戦直後から一九五○年代末までの児童文学評論の言説を詳細に分析した硬派の評論である。戦後日本の児童文学(子どもの本)の中心人物者たちが、いかに「無邪気」であったかということを、事実を通しイヤというほど分からせてくれる。例えば、少国民文化協会なる翼賛団体に戦時中勤務した関英雄が、敗戦後、そのような振る舞いを内省することなく「民主主義的な児童文学を創造し普及する」という理念をケロッと掲げてしまったこと。あるいは、一九三六年にプロレタリア児童文学として書いた作品「トンネル露地」を、一九四三年には軍国調に改竄して童話集に収録し、さらには負けた途端、いち早く民主主義童話の書き手として登場する岡本良雄の「変節」とも呼べぬ変説など。 そうした無邪気でお幸せな大人たちが作り出したこの国の児童文学が、「皮相な政治主義的メッセージが文学の世界でまかり通ってしまう(一三六頁)」という不気味で、独り善がりなものになるのは致し方ない。 敗戦直後の児童文学者たちを評し、著者は「今日ではさすがに容認されがたいことなのだが、子どもにかかわるということは、そのこと自体に独得な美意識のようなものが他から付与されていたかのように思える。伝統的な童心の美化とも言うべきイメージが、〃子ども〃にまとわりついていた。〃子ども〃プロパーが、その中心に児童文学者がいるのだが、特異な聖域を形成していはしなかっただろうか。そこに安住するかぎり、自己を厳しく問いつめる必要はない。なぜなら、子どもを素材にしながら、常に未来を、明日の夢を つむぐことができるからなのだ。戦後児童文学の出発点に眼を向けたとき、どうしようもなく浮かび上ってくる同時代児童文学者の姿は、そういった聖域に安住する、良心的で小心なオポチュニストである(四四頁)」と喝破する。が、これは哀しいかな今日でも十分に通用するのである。現に本誌9号において矢玉四郎氏が同様の問題を「子ども」というタームに絡めて指摘したことは、皆さんのご記憶にも新しいはずだ。つまりは未だに、〃子ども〃というイメージに安易に便乗する大人の存在があり、それこそが、この国の児童文学の不幸、および、教育の不幸の病根なのである。 ならば、治療法はあるのか?恐らくそれは存在しない。そしてもしあるとすれば、そうした傾向を認識した上で、敢えて異を唱えず、無視することしか方法はなかろう。『日本児童文学の-』で、徹底的な分析と批判を加えていった著者が、しかし一方で、自身の児童文学観を決して語ろうとしなかったのは、たぶん、そのせいだ。 そんな著者が、まるで堰を切ったように『〃子ども〃というリアル』で自説を展開するのは、その反動であるかもしれない。暴力、テレクラ、援助交際、ファミコン、ビックリマンシール、ポケモン、もののけ姫と、八○年代から現在にかけての子供をめぐる現象を細かに取り上げ、それを考察した本書の中には著者自身の「子ども」観がそこかしこに見出せる。 例えば暴力性の章では、「今世紀末に限らず、子どもや若者は多分に暴力的であり、いつの時代にもある種の暴力性を様々に表現してきたとはいえないだろうか(四一頁)」「子どもたちのアブナイ感性が、つまり過剰に鋭敏な感受力が、時代の危機意識や社会全体に津のように沈殿した不満や不安を過敏なセンサーさながらに感知しているからこそ、そこに様々な問題行動が噴出するのだ。それはこの世紀末に限ったことではなく、いつの時代も子どもたちは時代の過敏なセンサーとして機能してきたのではないか。それが『子ともというリアル』なのである。換言すれば、近代はそのような子どものリアルを封じ込め、解体する方向に進んできたとはいえないだろうか(四二頁)」「そしてまた、そういった(子どもや若者の持つ暴力的な)エネルギーの集団的な発散は、戦前の米騒動や農民闘争、戦後の学生運動にも通底するものがあった。若いエネルギーと正義感が、時の政治や権力に組織的に反逆する。社会はそこにある種の正当性を認め、そのエネルギーがまた社会を変革する力にもなっていた。七○年代に入って、連合赤軍事件などをきっかけにその正当性が瓦解して、学生運動がすっかり力を失って いくのとほぼパラレルに、校内暴力や家庭内暴力が噴出してきたことを考えると、そこには深い関係性があるように思われる(四四頁)」。 長い引用になったのは、細かな表現も含め全てを読んでいただきたかったからである。皆さんは、これを読んでどう感じられるだろう? 実のところ、僕は、これらの表現にものすごく引っ掛かってしまったのだ。 近代という思想が子供をある種の型にはめ込み、(自由度という意味も含め)あそびを狭めてしまったという指摘はそのとおりだと思う。だが、ここで繰り返し語られる「いつの時代も」変わらない「子ども」という表現に違和感を覚えるのだ。 一九六二年生まれの僕は、ここに示された七○年代こそが正に自分の子供期そのものである。そして当然、そこで過ごした風景は僕にとってありふれたものであり、何か「いつの時代も」変わらないものが抑圧され、それに対する苛立ちのようなものを抱えていたという実感はない。子供であったがゆえに、そうしたことを自覚的意識的に認識できなかっただけかもしれない。けれど、先の「子ども」観を認めてしまうならば、僕は「時の政治や権力に組織的に反逆」しようとも思えない、「若いエネルギーと正義感」を骨抜きにされた、可哀想な子供期を過ごしたということになる。 今でも記憶に残っているのは、小学校四年生のときにテレビで見た、浅間山荘事件の実況放送だ。今になって考えれば教師たちが一体どういう判断をしたのか分からないが、まずは授業をツブして学校で見せられ、その後はドキドキしながら自宅に戻り自分の意志で最後まで見続けた。「仮面ライダー」に熱狂していた頃である。だから、当時の僕にとって悪とは「秘密結社ショッカー」であり、ショッカーと同じように人を傷つけたり陰謀を企んだりする集団は逆算的に悪だった。したがって、アジトに立てこもり警察と銃撃戦を行ったお兄さん達は悪い人で、さらに母親に呼び掛けられ、鉄球によって基地を壊された挙句に逮捕された様子は、子供の頃に勉強ばっかりしていたせいで秘密基地ごっこもできなかった可哀想なお兄さんとお姉さん達の姿にしか見えなかった。 これは、もちろん、個人的な記憶である。普遍性などない。しかし、そうした当時の受け取り方が「子ども」としての本来性を逸したものだったといわれれば、やはり違和感は残るのだ。 この本で細やかに取り上げられる子供現象の考察は秀逸である。怪獣やファミコンや「ガンダム」など当事者として触れていたからよく分かるが、本書で語られる言葉は「大人」という外部から見たものではなく、ほとんど子供の隣に座っているようなリアルなものばかりである。が、そうしたことのできる著者をもってしてもなお、話が「子ども」観に及んだとき「大人」の眼になってしまうのは何故なのか。「子供」の話がいつの間にか「子ども」の話としてすり替えられていったことが原因であるのは間違いない。けれど、もっと根本的な原因があるような気がするのだ。それはつまり、子供とは本来、「子どもとは本来」などという言説を一切受け付けないものなのではないか、ということだ。「子ども」の本来の姿など、大人のイメージである以上いくらでも捏造することはできる。しかし、そうした枠を取り払い「子供」の本来的な姿を求めようとするならば、それが「人間」の本来的な姿に行き着くのは当然だろう。ならば、「子供とは本来」などという言説などあるわけがなく、まして「子どもとは本来」という言説など論外である。僕自身、この罠に無自覚に陥っていたことを反省する。だ からこそ、それに気づかせてくれたこの二冊を是非勧めたいのだ。(甲木 善久)
ぱろる10号 1999/05/10
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