|
子どもの本は、時代を映す鏡です。私は、男女が描かれる視点に常々興味を持っています。 先日、カナダに留学中の知り合いの女性の大学生から、次のような手紙とカナダの絵本が届きました。 こちらのホストファミリーで体験することはカルチャーショックの連続です。 初対面のとき、金髪の三歳の娘の愛くるしさに、つい「キュート!」を連発したら「外見でほめないでほしい。大事なのは中身だから」と、父親にやんわりたしなめられました。 家事や育児も、会社員の父親がごく自然にかかわっています。 休暇で、友人四人とバンクーバーからシアトルまで片道二百キロをマウンテンバイクで踏破する計画をたてた時のこと。反対を覚悟で相談したら、「自分のことは自分で決めなさい」といわれました。その上でパンクの直し方を教えてくれ、修理道具を持たせてくれました。 それらは険しい山道を登る途中で役だちました。 カナダでは、男女の枠を超え「人」としてどう考え、どう判断するのか、個人の意思が大切にされているようです。そんな社会を背景に、絵本でも、育児や家事をしている男性が随所に描かれていました。 さて、日本の児童文学でもありがちだった、冒険好きの強い男の子と泣き虫の女の子。仕事一筋の父親と家庭を守るエプロン姿の母親のパターンが時代と共にくずれてきました。 「おりょうりとうさん」では、男性にも料理する楽しさを!と、家事を義務でなく権利としてとらえ痛快です。 「宇宙のみなしご」で深夜、屋根に登る遊びをリードするのは女の子で、それに従うのは内気な男の子です。二人がお互いの何にひかれあい、どう成長するのか、個の問題として物語は深まります。 時代により、また、立つ場所により女性のテーマは変わります。 今や先端をいくアメリカでも女工哀史の困難な道のりがあり、一歩一歩乗り越えてきた女性たちがいた事実を「ワーキングガール」は伝えてくれます。 「夜明けのうた」では、タイの貧しい農村の少女が「女に学問はいらない」という周囲の反対にあいながら、進学のために遠慮がちに村を出ていきます。 反対にドイツのお話「ゼバスチアンからの電話」の、化学の得意な少女は、恋人ができたら学問を捨て、彼を支える道を選びます。しかし彼は、そのことを負担に感じ、離れていきます。 時代も場所も性差も関係なく「自分らしく生きること」が、自分も他者も変える力になるのかもしれません。これからの子どもの本の中で男女はどんな関係で登場するのでしょうか?楽しみです。 (静岡子どもの本を読む会 草谷桂子) とりあげた本 「おりょうりとうさん」(さとうわきこ作絵、フレーベル館) 「宇宙のみなしご」(森絵都作、講談社) 「ワーキングガール」(キャサリン・パターソン作、岡本浜江訳、偕成社) 「夜明けのうた」(ミンフォン・ホー作、飯島明子訳、佑学社) 「ゼバスチアンからの電話」(イリーナ・コルシュノフ作、石川素子・吉原高志訳、福武書店)
テキストファイル化日巻尚子
|
|