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わが国では、最近でこそ児童文学もかなり注目され、子どもの本を読む大人も増えてきてはいるが、一方には児童文学は文学ではない、あるいは一段低い文学であるとみなす風潮が根強く残っているのも事実である。卑近な例で恐縮だが、料理で言えば、確かに一般的に子どもが好きなハンバーグやオムレツをあまり好まない大人もいるかもしれない。しかし、それは個人の好みの問題で、料理の優劣の問題ではない。一流のシェフが作った、あるいは母親や妻が真心をこめて作ったハンバーグやオムレツは、大人が食べてもけっこう美味しいものだ。またそういうハンバーグの味と、インスタントのレトルト食品のハンバーグの味との違いくらいどんな子どもでも容易にわかる。万が一読者の中に、ハンバーグやオムレツは子どもが食べる物と決め込んで食べず嫌いになっている人がいるなら、また子ども用の料理は手を抜いて作ればいいと思っている人がいるなら、是非一度、一流のレストランで一流のシェフが作ったハンバーグを味わっていただきたい。そしてついでに、大人にも子どもにも喜ばれるハンバーグを作るのに、シェフたちはいかに日々苦心しているか、という打ち明け話にも耳を傾け てほしい。前置きが長くなったが、同様に子どもだけが読むべき物、大の大人が真剣に取り組むべきものではないと考える読者には、すぐれた児童書を一冊でも二冊でもいいから、是非読んでもらいたい。そして同時に本書を是非勧めたい。なぜならこの本を通して我々は、子どもの本の背後には、自己の全存在をかけて真剣に取り組む作者が存在し、その深い叡智と豊かな精神世界が限りなく広がっていることを知るからである。 本書は、「世界児童文学の星」とも言われるドクター・スース、センダック、スタイグ、リンドグレーン、アチェベ、トラヴァースの六人の絵本・児童文学作家と、伝承童謡の研究者オーピー夫妻への著者のインタビューと、これら八人についての著者自身によるエッセイを合わせたものである。一読してまず驚かされるのは、インタビューで著者でもあるジョナサン・コットの児童文学の造詣の深さと、相手作家の作品に対する幅広くかつ深い理解である。これは著者が雑誌の名編集者であり、数々の対談で知られた敏腕のジャーナリストで、無類の児童文学好きであることを思うと、驚くべきことではないのかもしれない。しかしそのためにそれぞれの対談は、単なる有名な一ー二作について語られる通り一遍のものではなく、大人向けの作品を含めた、少なくとも数編の作品が話題にされ、内容も豊富で興味深いものになっていることは、特筆に価する。例えばトラヴァースとは『メアリーポビンズ』と『フレンド・モンキー』の類似性を語り、神経症的な絵を描くスタイグには、人間の象徴としてなぜ動物を使うのかを語らせている。またこのような対談で必ず話題にされる作品の成立状況や背景、作 者の作品に託した思いなども作者の口から語られる。最も印象的なのは、オーピー夫妻が成し遂げたイギリスのわらべ唄の収集というあの偉業も、実は、行動的な妻が週に一度小学校へ出かけ、子どもの遊びがどのように変わっていくかを根気よく観察し、この結果を今度は、もっぱら机に向かうのが好きな夫が考察し、最終的に二人で話し合ってまとめるという分担作業と、膨大な量の仕事をこなすため、できるだけ外での生活を切りつめて、家にこもって仕事をするという二人の研究態度である。まさに、地道な努力なくして大業は成り得ずである。 注目したいのは、インタビュアー自身が「児童文学とはも子どもを教え、楽しませ、慰めるものだけではなく、いろんなタイプの社会観や行動をはっきりと示し、・・・それは、社会の特定の一場面を映し出すばかりでなく、人間社会一般のはたらきとその流れに焦点を合わせた拡大鏡ともなっている」という児童文学観を明確にもっいていることである。また著者は児童文学の本質を「慰めと批判」であるとも述べている。このように、児童文学とは何かをきちんと考えた者によるインタビューゆえに、その質問も作品の本質にかかわる鋭いものが多く、興味をひく。 またこれらの対談を踏まえた上でエッセイは、かなり示唆的で、新しい作品解釈の糸口を多く含んでいる。作品論、作家論、というには、あまりにも多くのことが盛り込まれており、まとまりに欠けるとも思われるが、今後の作品、作家研究に新しい光をあてることは確実であろう。またストーリーをかい摘んでの作品紹介は、わかりやすく、作品を読んだことのない人をも、けっこう楽しませ、さらにはその作品を読んでみたいという気持ちにまでさせる。 児童文学に興味のある人にも、ない人にも是非一読を勧めたい本である。(南部英子)
図書新聞1989/03/11
テキストファイル化 妹尾良子
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