子どもべやのおばけ

カーリ・ゼーフェルト

倉澤幹彦・本田雅也共訳 福武書店 1989

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 子どもと仲良しになるおばけ(幽霊)というと、その子を守って力になってくれる存在が多いのだが、本書のおばけは反対に子どもに助けてもらうおばけだ。フローリアンは五百年以上も前に死んだ子どものおばけで、けんかばかりしていたので馬から落ちて死んだとき「夜の国」に入れてもらえずにずっと地上につなぎとめられている。フローリアンを助けるには、フローリアンの住家のブライテンバッハ城に暮らす子どもたちが力を合わせて、真っ黒な「けんかリンゴ」を七日間でピカピカに磨きあげなければならないのだ。
 フローリアンを助けるのは、ユッタと妹のイーミと弟のベンノーの三人兄弟だ。ユッタの一家は喫茶店を開くため、ブライテンバッハ城の城跡の家に引っ越してきた。ユッタが十一才、イーミが八才、ベンノーが四才のこの三人は、どこにでもいそうな兄弟だ。ユッタたちは毎晩十二時から一時のおばけの時間にフローリアンに会ううちに、フローリアンが助けてほしがっていることを知り力をかす決心をする。でも、それは難題だった。フローリアンがけんかをしすぎたために真っ黒になった「けんかリンゴ」を磨く七日の間、ユッタたちはけんかをしてはいけないのだ。
 やり始めると、リンゴを磨く順番一つにしてもけんかの種になってしまう。どうにか三日間は無事にすぎたが、四日目に大げんかをしてリンゴはまた真っ黒になってしまう。がっかりするフローリアンを見て三人は心から悪かったと思い、「がまんをして思いやりの心をもつ」というフローリアンの言葉を胸にきざんでリンゴ磨きを再開する。ぎりぎりの七日目にリンゴは金色に磨きあがり、フローリアンは晴れて自由の身になれる。
 三人の兄弟が協力してフローリアンにかけられた呪いをとくという筋からも察せられるように、この物語の中心はユッタ、イーミ、ベンノーの子どもたちだ。しかもユッタが当時を思い出して書く形になっていて、語りもユッタの一人称だ。読者にはユッタたち兄弟の気持ちが手に取るように伝わってくる。特に、大げんかになったエピソードと三人の力でけんかをうまく避けたエピソードは印象的だ。
 妹のイーミばかりがおばさんから素敵なブラウスをもらってちやほやされるのを見てユッタは不機嫌になる。その後、ユッタのショールを黙って持ち出したイーミにユッタの怒りは爆発し大げんかになる。おさまらないユッタだが、フローリアンに言われイーミと話し合ううちに二人はお互いの気持ちを理解し仲直りする。次に、友だちにライオンを見にいこうと誘われたユッタに、今度はイーミとベンノーの怒りが爆発しそうになる。三人は話し合い、お互いのために我慢する喜びを知る。四人の子どものいるドイツのお母さんでもある作者は、この物語を「兄弟たちとどうしてもなかよくやっていけないと思っている子どもたち」のために書いたと言っている。兄弟は仲良くできるものと思っていた私は、本書に目を開かれる思いがした。
 ユッタたちとフローリアンの別れの場面は悲しい。なかでも、ベンノーの悲しみは胸をうつ。物語の最後にユッタたちに新しくフローリアンという弟ができるが、これはフローリアンと別れた三人の悲しみに対する作者の思いやりだろうか。
 おばけのフローリアンの物語なのにフローリアンの影が薄いように書いたが、もちろんフローリアンの存在は大きい。猫をこわがったり、おばけに会ってあわてふためく様子には笑ってしまうし、フローリアンがする「そらとぶねまき」の話は劇中劇のような効果をもつ。お城やリンゴを使った荘厳な儀式もおばけにふさわしい。でもなんといっても重要なのは、「けんかや」だったフローリアンが、兄のようにユッタたちに仲良くする秘訣をとく姿だ。秘訣ーー相手を思いやる心。(森恵子)
図書新聞 1989年6月3日