子鹿物語

マージョリィ・ローリングス作

大久保康雄訳 偕成社 1938/1983

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
    
両親と一人息子の開拓民家族。父親はあまり体力がないですから、開拓もさほど進まず、貧しい暮らし。であるのに、期待の息子ジョディは、父親の片腕にはほど遠く、気弱。あるとき、蛇に噛まれた毒を吸い出すために、父親はメス鹿を殺す(肉を傷口に当てるのね)。けれど、そのメス鹿には生まれたばかりの子鹿がいて、少しばかり後ろめたくなった父親はジョディにこわれるまま、子鹿をジョディが飼うことを許す。フラッグと名付けた子鹿を世話することでジョディは、初めて自分に自信を持つ。が、大きくなってきたフラッグは、この家族が生きるための僅かばかりの農作物を食い荒らす。大好きで大切で、カワイイ子鹿が、家族を追い詰める。どうすればいいのか。けれど、フラッグが生きがいのジョディにはどうすることもできないし、したくもない。
「大草原〜」の愛読者には、信じられないほど苛酷な話です。
結局フラッグは、母親が殺そうとし、殺し切れずに、ジョディがとどめを刺すはめになるのですが、そのことに怒り家出をするジョディは、やがて、生きて行くためには受け入れざるを得ない悲しみがあることを理解し、両親の元にもどり、父親の期待する男になろうと決心するところで終わります。
はい、お気づきのとおりです。この物語が「大草原〜」と同じ時代の開拓民を扱いながら、あまりに違う家族の物語が描かれる理由の一つは、主人公が男の子だからなんですね。気弱な男の子が、男になるまでに通過する苛酷な状況ってわけです。つまり、「大草原〜」の主人公は男の子ではありえず、「子鹿物語」の主人公は女の子ではありえない。性別による物語の役割分担が、この二つの物語を読み比べることで、浮かび上がってきます。
ただし、この物語の母親は、これまで何人かの子どもを無くしたため、愛情を注いだものを失う悲しみにはもう耐え切れず、ジョディに冷たい人物として設定されています。母親とは子どもをどこまでも愛している存在であるという、安易で暴力的な母性神話信仰への疑問を投げかけている点は見逃せません。(ひこ・田中

 「子どもの本だより」(徳間書店)1995年11、12月号