荒野のコーマス屋敷

シルヴィア・ウォー

こだまともこ・訳 講談社 1996

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 手作りの人形一家が織り成す人間ドラマ リカちゃん人形やバービー人形は、現実社会を模したそのミニチュア化によって、衣装やアクセサリーだけではなく、家具や電化製品やその演出舞台としての室内にいたるまで、次々とアイテム数を拡大し、ますますリアル幻想を増幅してきた。この過程は現実をミニチュア化したごっこ遊び人形の、当然の成り行きでもあった。子どもたちにとって、人形を配した家族ゲームや友だちゲームは、実生活の投影であるのはもちろんだが、現実の物語性が稀薄であればある程、幻想としてのリアルを追及できる多様な装置が必要だったのだ。しかしそれとは反対に、けっして精巧とはいえないえ手作りの布人形であっても、それで遊ぶ人間の想像力いかんによっては、実にリアルな物語世界をいかようにも飛翔させることができる。それが物語の力であり、そしてまたこの作品の大きな魅力でもある。
 ここでは、手作りの等身大の布人形たちが、作り手が亡くなったあと生命を得て、街の中で四十年以上もひっそりと暮らしている。ミニチュアの人形ではなく、人間と同じ背丈で、言葉を話し知恵も知識もある人形たちが、かつて人間が住んでいた屋敷で家族生活をしているという設定である。このシチュエエーションで矛盾なく物語世界を構築するのは、なかなか難しい。しかし作者は、巧みにその難題を乗り越えてみせるのだ。
 彼らメニム一家が住むブロックルハースト・グローブは郊外のありふれた住宅街だ。どの屋敷も大きな一戸建てで、周囲がしっかりとした生け垣で囲われているから、メニム一家の暮らしぶりも外から見られる心配はない。一家は、六人の子どもと父母、祖父母と家族同様の乳母との十一人で暮らしている。毎日きちんきちんと食事の真似事だけはするけれども、人形なので実際に物を食べることはないから成長もしない。食事に限らず彼らの日常は、ほとんどが「ごっこ遊び」の世界なのだ。それはなんだか、現在の家族そのものを象徴しているようでもある。彼らが外部と接触しなければならないときは、たいてい電話か郵便ですます。必要があって街に出かけるときも、顔を隠してほとんど天才的な演技でやり過ごしてきた。もちろん近所の人と話したこともないし、顔を合わせたこともない。
 一家の収入はといえば、四人の大人たちがそれぞれに稼いでくれる。祖父のマグナス卿は、原稿を書いたりマグノピアというペンネームでクロスワード・パズルを作って原稿料をもらう。手芸家である祖母のチューリップは、「チューリップメニム」というブランド名のニットウエアを作り、特別にハロッズデパートにだけ卸している。母親のヴィネッタは、自分で縫い上げた子ども服を地元のブティックまがいの店に売っている。ただ一人家の外で働いているのは、父親のジョシュアである。彼は週に五日、人間に気付かれること無く一人で倉庫の夜警の仕事をしている。 このメニム一家と始めて接触することになったのは、人形たちを作ったケイト伯母さんの甥の孫にあたる、三十歳で独身の大学教師アルバート・ポンド氏である。彼はケイト伯母さんの幽霊に出会い、メニム一家の存在を知らされ、彼らが住む屋敷が高速道路建設のため近い将来取り壊されるはずだから、彼らにコンタクトして助けてやって欲しいと頼まれたのだ。ポンド氏は建設計画を阻止する住民運動を展開する一方で、彼が田舎に持っている古い屋敷にメニム一家を引っ越すことにさせる。そこが荒野のコーマス屋敷である。
 街中から寂しい荒野の一軒家に引っ越した一家の戸惑いや、そこから生ずるポンド氏を巻き込んだ家庭内の様々な精神的な葛藤。危機的な状況下の家族の、世代の違う一人一人の思考形態や個性が鮮やかに浮かび上がり、それぞれが抱え込んだ悩みや困惑が幾重にも重なり合って物語が展開する。描かれるのは手作りの布人形の世界なのだが、それはさながら現代の家族の軋轢を見るようでもあり、複雑な人間ドラマでもあって、そこに作者の洞察力と構成力の鋭さが光る。古屋敷の人形一家の秘密を探りに来る、いなかの悪戯っ子のキャラクターも魅力的だ。都会の隠れ里を思わせるようなメニム一家と、たまたまコンタクトするはめになったポンド氏的存在が象徴するものは何か。なかなか考えさせられるところもある。五巻予定されている「メニム一家の物語」シリーズの『ブロックルハースト・グローブの謎の屋敷』に続く二冊目。続刊が楽しみである。(野上暁
図書新聞、1996、6、1号