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『光車よ、まわれ!』やオレンジ党の活躍する「三つの魔法」三部作の作者の天沢退二郎の訳というので本書を手にとった。また、挿絵もオレンジ党と同じマリ林で、白黒ではっきりしているがそれでいて幻想的な絵が使われている。幻想的なファンタジーを期待して読み始めたが、本書はファンタジーではなかった。しかし、幻想的というのは期待通りで、それがこの作品の特徴であり魅力だ。 夏休みの終わり、大伯父さんの家にあずけられることになった高校生のジョナスは、電車の中で眠りこみ一駅乗り越してしまう。もどる電車を待つ間、その町の祭りを見物していたジョナスは、緑の瞳と黒い髪の少女シュザンナに会う。人ごみに消えたシュザンナをさがすうち、ジョナスは止まっていた伯父さんの車をみつける。伯父さんをおどかしてやろうと車にかくれたジョナスは、またぐっすり眠りこんでしまう。 目が覚めると夕方で、まわりはどこまでも広がる切り株畑、おまけに車はまったくのポンコツに変わっていた。この荒涼とした土地で、ジョナスは再びシュザンナの姿を目にする。ジョナスの驚きはまだ続く。街道で出会う人々は皆同じ方角に向かっていて、しかもだれもがジョナスに敵意を抱いているのだ…魔女のような老婆、花柄シャツの二人連れ、自称天文学者、乱暴な大男。ジョナスが街道を下っていくと、バンジョーの響きが聞こえて、歌が終わるとその音楽家はつぶやいた--「シュザンナ!」 ジョナスは一体どこへ迷いこんだのか? シュザンナとは何者なのか? なぜ皆ジョナスに敵意を抱いているのか? これほど謎に満ちた筋立ても珍しい。この謎は物語の後半できれいに説き明かされる。見知らぬ土地はシャンパーニュ地方で、シュザンナはこの村のお城と呼ばれる建物にメルシェ氏と住んでいる。音楽家はシュザンナの養父のミスター・フーピングで、シュザンナの妹のクレマンティーヌを連れて何年も会っていないシュザンナに会いにきた。シュザンナは二人に会おうとしない。ジョナスが会った村人たちは皆、ミスター・フーピングがいる駅舎に向かっていた。村人たちは、ミス ター・フーピングとクレマンティーヌがシュザンナに会えるよう相談しにくるのだ。村人たちがジョナスに冷たいのは、金をせびりにくるメルシェ氏の二人の甥のせいで、ジョナスのかくれていた車を盗んでジョナスをこの村に連れてきたのもこの二人だ。 分かってしまえば、ジョナスは自分とは関係のないことに巻きこまれていたのだ。しかし、緑の瞳のシュザンナに魅せられ、邪魔にされてもなおシュザンナを信じるミスター・フーピングとクレマンティーヌを知っては、関係ないとはいっていられない。ジョナスも二人がシュザンナに会えるように協力する。物語は、ジョナスの成長を、特にシュザンナとの淡い恋を語っている。 ファンタジーではないのにファンタジーを読んだような気持ちにさせられるのは、一種の「異界」や「地下迷路」のモチーフを使って幻想的作品になっているからだ。切り株畑や廃駅など異界を思わせるシャンパーニュ地方の様子、魔女のような老婆や妖精のような緑の瞳の少女、不可解な村人の素振り。ポンコツ車は過去の世界にまぎれこんだような錯覚を起こさせる。 怒りにかられてジョナスたちを追ったシュザンナは、吸いこみ穴と呼ばれる深い穴に落ちる。この穴は地下迷路を思わせ、ここからの脱出がシュザンナの再生となる。過去を忘れ未来に向かって情熱的につき進むシュザンナが過去を振り返り、ミスター・フーピングとクレマンティーヌを思い出し、ジョナスと心を通わせる。シュザンナの再生の過程は、吸いこみ穴を脱出してからが印象深い。シュザンナの過去の一場面がそっくりそのままよみがえるのだ。ドアがばたんと音をたて、ミスター・フーピングが歌ってくれた楽園のバラードを口ずさんだシュザンナは、日の光を眩く反射している缶詰の空き缶を見る。そして今、空き缶のそばにはジョナスがいた。美しく心にしみこむクライマックスだ。吸いこみ穴、バラード、ドア、光を反射する空き缶、どれもが読者を不思議な世界に誘いこむ。 作者のアンドレ・ドーテルは一九OO年生まれのフランスの作家で、『遥かなる旅路』など数多くの幻想的作品で知られている。(森恵子)
図書新聞 1989年1月21日
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