クローディアの秘密

E.L.カニグズバーグ

岩波少年文庫 1967/1975


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 今回から、「家族」という枠から少し自由になって、児童書の中の子どもたちを見ていきます。彼らは作者が創造した架空の存在なのですけれど、そうであるからこそ、ときに現実の子ども以上に明確な子どもの姿をして迫ってくることがあるんですね。もっとも、それだけの想像力と創造力を持った作者の手によることが条件ですけれど…。
 さて最初に登場願うのは、ニューヨーク郊外グリニッチ在住のクローディア・キンケイド、もうすぐ十二歳。物語は彼女が家出をしようとしているところから始まります。「いちばん上の子で、おまけに女の子はひとりきり」だという理由で「弟たちは何もしないでいい時に、じぶんだけは皿洗い機から食器をだしてテーブルの用意をしなければならな」いことに納得できず、「まいにち同じことのくりかえしにも、すべてあきあきし」ていたのです。でも、クローディアは「不愉快なことがすきでは」ない。そこで「大きな場所、気もちのよい場所、屋内、その上できれば美しい場所」はどこかと考え、彼女が家出先に選んだのはなんとメトロポリタン美術館。
 選んだ先のユニークさに眼は奪われがちですが、それよりも興味深いのは、彼女が家出という非日常な行動に際しても、自分を失わず、計画や方針を立てる子どもである点です。快適な家出には資金が必要なので、小金を貯めている弟ジェイミーをおだて上げ計画に引きずり込む。ニューヨークのような大都会ほどかえって目立ちにくい。展示物のベッドで眠ることができる。時間を潰しやすい。家出だからってお風呂に入りたいから、近くの噴水を使う。決行前に彼女はそうしたことをちゃんと計算しています。
 クローディアは、感情に流されるより、自分の欲望を実現するために必要なことは何かを自ら考え、戦略を練り、出来ることを実行に移す、自己管理ができ、またそうすることを好む子どもなんですね。だから家において、女の子だというだけで「不公平な待遇」を受けるのを我慢できなかったのも当然。
 現代風に言えば彼女はダブルスタンダード(二重基準)の不当さに気づき、そこから取りあえず脱出しようとしたわけです。ただし、時は67年、大人の女ですら、ダブルスタンダードといった概念を手に入れていない頃。まして、たとえまれにみる戦略家とはいえ、クローデアはまだ12歳。
 さて、物語はこの子どもをどう扱うのか?
 でも字数が尽きてしまいました。どうやら私はクローディアほど計画性がないようです。(前)


 クローディア・キンケイド、もうすぐ十二歳。小金を持っている弟を連れて、家出した女の子。彼女が家出をした原因は二つ。長女だということで家事の手伝いをさせられる「不公平な待遇」に納得できなかったことと、毎週日曜日夜のチャンネル争いなど「まいにち同じことのくりかえしにも、すべてあきあきし」ていたこと。さてこの二つ、クローディアにとってどちらが大きかったのでしょうか? 前者は、後者の中に含まれるかもしれません。「家事の手伝い」は「同じことのくりかえし」が殆どなのですから。しかし両者の質は全く違います。チャンネル争いは嫌になれば自らの意志で変えることはできるけれど、「家事の手伝い」はそうは行きません。これは社会の意志が家庭に浸透した女の子の育て型であり、クローディアの意志を越えて存在するものだから。そのことを「不公平な待遇」だと、彼女は気づいてしまったわけ。ですから、本当はこっちの方が大きいと考えていいでしょう。おもしろいことに、この物語の語り手フランクワイラー夫人は「家事の手伝い」への怒りをクローディアの家出の原因であると述べたのち、「当のクローディアよりこのわたしにはっきりわかる原因もあっ たかもしれません」として、「同じことのくりかえし」を挙げています。つまり、語り手もまた、クローディアの意志を越えて、家出の動機を語っているのです。まるで本当の原因から注意を逸らすかのように。
 物語も「同じことのくりかえし」の克服に向けて進んでいきます。美術館が安値で買い入れた天使の像がミケランジェロ作であるかどうかを突き止める欲望にクローディアをかき立てることで。語り手は述べます、「家出のこたえも、また家に帰るこたえも、天使の中にあるのです」。本当でしょうか?
 クローディアは、像がミケランジェロ作である証拠を、秘密にすることを条件に語り手から与えられます。秘密を持っていること、「それでクローディアはちがったひとになって、グリニッチに帰れるのよ」と。本当でしょうか?
 この秘密は語り手や弟と共有されていますが、もう一人、語り手の顧問弁護士であり、クローディアの祖父である人物にも知らされているのです。というか、この物語そのものが、語り手が彼に向けて書いた手紙なのです。これは本当に「ちがったひと」になれる「秘密」なのでしょうか?
 そして、「秘密」とは「沈黙」を要求するものであることも忘れてはなりません。
 もちろんこれは、三十年前に、女であるだけで「不公平な待遇」をされる理不尽に気づいてしまった十二歳の少女の、生き延び方として読みとれます。そんなクローディアも現在四二歳、もし娘がいたら、どんな育て方をしているんでしょうね。(後)(ひこ・田中
徳間書店「子どもの本だより」5/26.27号 19987-10