黒い兄弟

リザ・テツナー

酒寄進一訳 福武書店 1988

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 煙突掃除の少年を主人公にした作品といえば、イギリスの煙突掃除夫保護条令の成立の契機となったチャールズ・キングズリーの有名な『水の子』がある。『水の子』が書かれたのは煙突掃除の子どもたちが実際に働いていた一八六三年で『黒い兄弟』は約八十年後の一九四一年、物語の形式もファンタジーとリアリズムと違っていて比べるのは無理かもしれないが、同じ煙突掃除の子どもを取りあげた作品として本書はストーリー性も強く少年たちも生き生きとし『水の子』よりずっと面白かった。
 まえがきにあるように、本書は一八三O年代初めスイスのティチーノで行われていた人身売買の記録を元にしている。貧しさのためにミラノの煙突掃除夫に売られた子どもたちは、太るからと食事もろくにもらえず煙突にもぐりこんでは素手で煤をかき落とさなくてはならなかった。子どもたちは船に詰めこまれてマジョーレ湖を運ばれたが、小船の一そうが転覆して、十六人の子どもたちが死んだ。
 『黒い兄弟』は四部からなる。第一部は十三歳のジョルジョが人買いに売られるまで。ソノーニョ村のジョルジョの一家は打ち続く不幸に見舞われ一文なしになってしまう。冷害、日照り、山火事と続き、最後には母さんまでが岩場で足を折る。医者を呼ぶためにジョルジョは「ほお傷の男」に売られ、ミラノで半年間煙突掃除をすることになる。第二部はミラノに着くまでとミラノでの煙突掃除の生活が描かれる。マジョーレ湖でジョルジョたちの乗ったボートが転覆して、十六人の子どもたちが死ぬ。生き残ったジョルジョとアルフレドは、ほお傷の男に連れられてミラノにやってくる。満足な食事も与えられぬままこきつかわれる煙突掃除の生活は聞きしにまさるひどいものだった。親方はいい人だったのでジョルジョは仕事のつらさはまだ我慢できたが、我慢できないのはおかみと息子のアンゼルモの仕打ちだった。 第三部はジョルジョたち煙突掃除の仲間の物語。ティチーノから連れてこられた煙突掃除の子どもたちは「黒い兄弟」という結社を作って互いに助け合っていた。リーダーはジョルジョの親友のアルフレドだ。そのアルフレドは肺を病み自分の秘密をジョルジョに打ち明けて死ぬ。ア ルフレドが死んだ悲しみがいえないうちに、ジョルジョも煙突の中で身動きができなくなって危うく窒息しそうになる。ジョルジョはその場にいあわせたカセラ先生に命を救われる。
 第四部はジョルジョと仲間三人の逃避行。おかみのあまりの仕打ちに耐えかねて、ジョルジョは親方のところを逃げ出す。途中、何度も警官やほお傷の男に捕まりそうになりながら、ジョルジョは仲間三人とスイスのルガーノのカセラ先生の家にたどりつく。ほお傷の男はマジョーレ湖で十六人の子どもたちを溺死させた罪で逮捕されて、この男の裁判を契機に子どもの人身売買は禁止されミラノに残っていた「黒い兄弟」たちも自由の身になる。その後、ジョルジョはカセラ先生の助けで学校の教師となりアルフレドの妹を妻にむかえ、故郷のソノーニョ村に村の最初の先生としてもどっていく。 ほぼ七百頁におよぶジョルジョの物語はちっともその長さを感じさせない。舞台だけとってもスイスとイタリア二か国をまたいでスケールが大きく、非常にストーリー性の強い物語だからだ。ジョルジョが人買いに売られ苦しい煙突掃除夫の生活を経てカセラ先生のもとで幸せをつかむという筋のなかに、泥棒事件だの「狼団」との対決だの次々に事件が起こり、アルフレドの秘密まで含めて読者をぐいぐい引っぱっていく。特に逃避行のところは息もつかせぬ迫力だ。作者のリザ・テツナーは昔話の語り手と しても知られた人だが、この経験が大きくものをいっているのだと思う。 もうひとつのこの作品の魅力は、生き生きした少年たちである。ジョルジョをはじめ「黒い兄弟」のアルフレドやアントニオやダンテたち、そして「狼団」のあばたや猫や片目たち。皆勇気があり友情に厚い少年たちだ。そのなかでアンゼルモの臆病さ卑怯さかげんは際立っている。「黒い兄弟」と町のチンピラ少年の結社「狼団」の対決や卑怯なアンゼルモを団から追い出す場面など、モルナールの『パール街の少年たち』を思わせる。またジョルジョの逃避行にはあばたや猫たちも一役かっている。本書はジョルジョの物語だが、町の少年たちも含めジョルジョとその仲間の物語である。 ジョルジョたちのどんな逆境にもへこたれない勇気と友だちを思う友情は、ナチスに抵抗してスイスに亡命したテツナーの精神をうつしている。ちょっと厚いけれど本書を手にとって、本物の勇気と友情にふれてみようではないか。(森恵子)
図書新聞 1989年4月22日