極北の犬トヨン

ニコライ・カラーシニコフ:作
高杉一郎:訳 辻まこと:絵 学習研究社 1950/1977

           
         
         
         
         
         
         
     
 「犬のいるところには、きっと人間がいる。」といいきれるほど、人間と犬は、ともに長い歴史をもち、深くかかわりあってきた。子どもの本の歴史をみても、絵本では、無数の犬が登場しているし、物語にも、犬を主人公にしたものも多い。
 ニコライ・カラーシニコフが一九五〇年にアメリカで出版した『極北の犬トヨン』では、一匹の犬トヨンの存在が、ツングース人グランと、その一家にとってどんなに大きい意味を持ちえたかを、地味な語り口の中に迫真性をもって描き出していて、物語文学の白眉となっている。
 政治犯として北シベリアに流される途中の”わたし”は、悪天候にみまわれ、人間の住んでいるところで休息したいとツングース人グランの「夏の家」で三日三晩を過ごしたが、その家で善霊として大切にされている老犬トヨンに心ひかれ、知恵と経験のこもった目をしているオオカミに似た灰色の犬の生涯をきき出すという枠組みになっている。
 トヨンは、一番近くに住む人々から尊敬されていた老人タルツの犬「おくさん」から生れ、タルツの死によってその孫息子ダーンと共にグランの家にひきとられる。トヨンは、大切に育てられ、天性と暖かい訓練によって、すばらしい猟犬として成長していく。トヨンが一家に来てからというもの、あらゆることが順調にまわり、妻アンナ、娘ナータのそれぞれの資質に助けられて、グランは勇気や生活力、極北の地に穀物を植えようとするような進取の気風で、その地域を代表する人になる。(「グランの財産の大半は、かれがひとりだちの猟師になってから三年のあいだに、トヨンがかせいでくれたものだ。」)もう一人の有力者クララークとトナカイのレースをして得た、トヨンのあいて<しろ>は、子犬を生むばかりになっているとき、熊に殺され、その時、トヨンは「かなしみというのは独占的な感情で、ほかのすべての感情をおいだしてしまう」ぐらい悲しみ、心の病気にかかってしまう。みんなの愛情で立ち直るトヨンではあるが、その後、トナカイを盗まれたり、ゴールド・ラッシュにのせられたグランがあぶない目にあったり、(トヨンが銀ギツネをつかまえるという画期的なことはあった が)、オオカミのいる雪原の穴での一夜のあとナータが重病にかかったり、それぞれ、トヨンに危機を助けられるが悪いことも起こるようになってくる。そのころ家に住みこむようになった使用人のディムおじいさんの知恵に教わることが多い。トヨンは、ダーンがもらってきた、殺されそうになっていたケガをしためす犬<しあわせもの>が気に入る。一六歳になったナータと婚約することがきまっていたダーンは、湖に魚つりの様子を見に来て、氷がくだけたため、湖におちる。近くにいたトヨンがククリャンカをくわえてくれるがあきらめかけているとき、人々が気付き助け上げられる。若いダーンは回復するが、トヨンはもう狩りのできない身体になってしまう。しかし、「いちばんだいじな家族の一員」として、ずっとくらしている。
 グランは、「犬は人間の友だちなんだ。年よりたちのいいぐさじゃないが、人間の生活に犬がいなかった時代なんて考えることもできない。神さまは、人間をつくるとすぐに、犬をそのつれ【傍点】としてくださったのだ。犬は人間のために猟をし、人間のためにはたらき、人間とその家畜をまもってくれる」と語っている。犬がいてこそ、極北のくらしの中で、人間が生き残ってこれるということには、一つは、猟によって「冬に飢えないという保証」をえることができるということと命の危機に直面したとき、助けてくれるという二面がある。トヨンの働きによってグラン一家は、毛皮をうって、町の商人から必要なものを買い入れているし、トヨンは、グランの、ナータの、ダーンの命をすくってもいる。また、トナカイ盗人のあとを、着実につけていくことのできるのもトヨンであった。
 この作品の大きい魅力は、極北でのくらしという背景にもある。自然の猛威のすさまじさと、季節の変化による美しさ、動物たちのくらし、文明というものと遠いところにある人々の日常生活の細々としたこと、その知恵などを通じて本当のくらしとは何か、ということ、きびしい条件の中でも営々と生き続けてきた命への畏敬、その底に流れている死というものは、一つの生命からつぎの生命にいたる橋にすぎないという考え方が浮かび上がってきている。
 作者ニコライ・カラーシニコフ(一八八八―一九六一)自身が書いた短い略伝("More Junior Authors" 199頁)によると彼の生涯は、革命と戦争の連続であったことがわかる。一六歳で人民解放運動に加わり、一九〇五年に第一革命を経験、四年の流刑をへて、第一世界大戦に志願して従軍、一七年、革命に参加、後、中国に亡命、二四年、アメリカに渡り、三〇年に市民権をえて、そこで第二次世界大戦も経る、といった具合である。そうした経験が、静かに、作品の中に塗りこめられていて、それだけ、逆に、脈々と続いていく命への信頼が高められていく。もう一つの作品『シベリアの馬ジャンパー』(田嶋陽子訳 ぬぷん児童図書出版)でも、馬が主人公ではあるが、やはり、馬と人間の心の交流と真実を、平和なくらしから戦争にまきこまれていく中での諸々の事件をを通して描いている。
 「動物にせっかん【傍点】をくわえるのはかんたんなことだ。しかし、それでは教育にならない。……おしえるには忍耐と知恵が必要だが、あいつは、必ずおぼえるよ」というのは、『ジャンパー』でも語られている教育観であるが、この作品の中で語られる知恵は数多い。例えば、妻アンナのみる夢の予言にも学んでいくグランである。旅のおわりに、”わたし”は、「トヨンのことばかりでなく、トヨンのもっている美点をそんなにも高く評価できる人々」のことを理解するようになり、「こんなに素朴で、こんなにしんせつな人々のすんでいる土地が、わるい土地であるはずはない」と思い、「これから五年間の流刑をおくらなければならないわたしの心も、なにかほのぼのとしてきて、こおりついた極北の大地にたいする考えをあらためるようになった」と語っている。トヨンという犬の偉大さはまた、その大地に住む人々のすばらしさでもあったのである。 (三宅興子
(本書は同社愛蔵版にも収録。)
世界児童文学100選(偕成社)
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