教師という快楽

名取弘文

雲母書房 1997


           
         
         
         
         
         
         
     
今日、子どもや学校や教育について語ろうとすると、どうしても重苦しさがつきまとう。まして教育現場のまっただ中にいる教師たちの苦悩は想像に難くない。ところが、小学校の教員歴三十年になる著者は、それを敢えて「快楽」と言ってはばからない。〃おもしろ学校〃理事長を自称し、軽快なフットワークとそこから生まれるユニークな交遊関係や、それを生かした奇想天外な公開授業をし、〃子どもの邪魔にならない軽い教師〃を信条に、ナトセンとかナトリと子どもたちに呼ばせる著者が、十年日記というスタイルでユーモラスに描き出してみせる日々の記録は、この息苦しい酸欠状態に爽やかな風を吹き込んでくれるようだ。
日記は一九八八年の新学期から始まる。六年生付きの家庭科担当。原子力発電のことも正面から取り組みたいと、抱負を述べる。そしてその週の日曜日には、「ナトリと明美の始生活展」つまり明美ちゃんとの結婚披露宴。五月一週の土曜日にはフォトジャーナリストの広河隆一さんをゲストに「チェルノブイリを怒った!」とする公開授業。七月に娘さんの誕生。「いつの日にか、花を咲かせようよ」という思いを込めて、咲ちゃんと名づける。十年日記の最初から、著者ナトセンは公私に渡って多忙である。しかも新刊書の宣伝と販売を兼ねた辻説法で各地を回ったり、年間五十回の講演の合間を縫って次々と映画っを観たり、それが高じて映画評論家デビューをはたしたり、教育占い師を名乗ったり。六年生の家庭科では、世界の料理に次々とチャレンジする。パレスチナ料理、メキシコ料理、べトナム料理、ブラジル料理、台湾料理、韓国料理。「食べ物や衣装、歌や踊りをとおして、他の民族の文化や生活を理解しよう。自分たちの文化を大切にして、他の人たちの生活も大切にしていこう」というのが、ナトセン流家庭科 のねらいなのだ。
学校教育というのは、「百年来の時間と、国家ぐるみの方法で武装されている」から、それを変えていこうとするのはなかなか難しい。しかし変えようとすれば変えることのできるところもずいぷんある。「嘆いていないで、いろいろ変えましょう。変えられるというのは楽しいことです」と著書は言う。「長朗戦を覚悟唐して、いろいろな仕掛けをして、ゲリラ戦のようにヒツト・エンド・ランをしたり、あるいは眠ったふりをして敵が通り週ぎるの待ったり」と、その方法はしなやかでありシ夕タカである。そうやって、出席簿の男女混合アイウエオ順を実現してしまったりもするのだ。多彩なゲストを招いての〃おもしろ学校〃の公開授業にしても、それを既成事実にし定例化してしまうまでには様々な軋轢があったはずである。持病の喘息と格闘しながら、それもこれも、「教師という快楽」にしてみせるところに、「ナトセンの10年日記」の凄味があり、時代が時代だけに読んでいてすこぶる元気が沸いてくるのだ。 (野上暁)
読書人1997/11/04