十三歳の出発

小野 紀美子
毎日新聞社 1979

           
         
         
         
         
         
         
     
 第二次世界大戦とはどういうものであったのか、その本質に迫まろうとする試みは、これまでも、さまざまな分野でなされてきているが、三十年という歳月をへて、はじめて書きえることや、見えてくる面もあるということに、最近の著作に触れていて思い知らされることが多い。
小野紀美子著の『十三歳の出発』では、大戦末期のヨーロッパを背景に、日本の子どもの眼を通して戦争という複雑な怪物に迫ろうとしている。イタリアに駐在していた新聞記者の息子で十三歳の健一少年がその主人公である。イタリア北部の病院を退院して父と若い日本人とともに車でチロルにむかっているところからはじまる。途中、機銃掃射で父がケガをしたり、山でドイツ兵とその兵を追いかけてきたパルチザンが体力つきて共に死ぬのに出会ったりしながら家族の待つドイツのケーニヒシュタインのホテルに着く。ホテルには四十八人の日本人が集まっている。そこで、脱走した捕虜が殺されるのを目撃したり、かくまわれているユダヤ人の少年を知り、後にその少年が連行されるのを見つめたり、刻々と迫まる危機を感じるようになる。一行は、物品と交換にに列車を確保してバイエルンに逃がれることになる。うまくアメリカ軍の捕虜になろうというわけである列車は、止まることを繰り返しながらのろのろと進んでいく。途中、親切にした二人のドイツの女の人に、お金を持ち逃げされたり、ソ連軍の捕虜のつめこまれた貨車をタテにつかって危機を脱したり、数々の事件を目撃することになる 。食べる場面、歌う場面も散りばめられ、一行の中の教師がドイツ寄りから、全く百八十度立場をかえアメリカ寄りになるさまを描いたり、朝鮮人問題をからませたりしながら、ツウィーゼルに辿りつく。そこで列車は進めなくなる。空にはアメリカ軍が飛行機を使って描いた泣き顔のヒットラー。
長々とあらすじを書きたてたが、作者には恐らくもっともっと書き入れたかったシーンや要素があったことだろう。二○○ページにも満たない小説にこれだけ多くの要素をもりこむこと自体困難な作業であったに違いない。それでもなお描ききれない戦争というものの巨大さを納得させてくれはするが、今一つ作品としての結晶度が充分ではなく、一つ一つのエピソードが、大変重たいテーマを扱っていながら平板にしか伝わってこないのは残念である。
舞台設定のユニークさと、子どもの視点で戦争をみようとした点で、第二次世界大戦の全体を捕える試みに、一つの可能性がひろがったことは、確かである。短篇の「喪服のノンナ」がもう一篇入っている。(三宅興子)
週刊読書人 1979/08/20
テキストファイル化(杉本恵三子