児童文学のなかの母親

百々祐利子著

くもん出版 1988


           
         
         
         
         
         
         
         
     
  『児童文学のなかの母親』というその書名から、本書は過去から現在までの多くの児童文学の作品に「母親」という観点からメスを入れ、そこに描かれている母親像を辿る、あるいは時代や国を越えて共通する母親の属性なるものを探ることを目的とした本であろうと推測する読者は少なくなかろう。特に『児童文学の中の子ども』(神宮輝夫著、一九七四)という似た書名の本が、一九六0年代半ば以降著しくなり出した子どもの本における児童観の変化を、米英の作品に即して述べた研究書であることをご存じの読者は、本書も同様な研究書であろうと期待するかもしれない。しかしその期待は見事に裏切られる。確かに著者は、昔話の継母、動物物語に見られる母子関係、科学読み物で発見する自然の営み、オーストラリア原住民アボリジナルの神話に出てくる大地の母、小説やヤング・アダルト文学の中の多様な母親像、台湾文学の母親観、というように様々なジャンルの数多くの作品中の母親像や母子関係に注目している。しかし著者はそこから何らかの帰納的な結論を導こうとはして居らず、筆者のような洞察力の乏しい読者には、一体何が作者のテーマなのか、取り上げられた作品の選定基 準は何なのか、といった疑問が残る。また著者の関心は母親にだけあるのではなく、作品の魅力やプロットやにまで及び、論旨がとらえにくい。
しかし著者はあとがきの中で、「これは私が大すきな本と、自分が訳出という形でつき合った本について、気の赴くままにつづった読書ノートです。」と語っている。この言葉ほど本書の内容を端的に表しているものはあるまい。著者のこの言葉に耳を傾け、彼女が児童文学の翻訳家であり研究者であり、私生活においては母親であることを思う時、著者の関心が多面的な人間らしく多岐にわたっていることも、作品の選定基準が第三者にはわかりにくいことも、テーマや論旨が明確でないこともすべて納得がいく。また結論を導こうとしていないことに関しても、著者はあとがきの中で、日本文学が伝統的に持ち続けてきた旺盛な「求道」精神で文芸評論を行うと、対象となった作品までが難しそうに思えてくる事実を指摘して、本書は「求道」精神ぬきで書いたと告白し、「母親道ーたのしく歩もうではありませんか。」と読者に呼びかけている。
 とするなら本書は、研究書ではなく一般の母親を読者対象として書かれたエッセイと言えよう。一般の母親が本書のような児童書について書かれた本に向かうのは、大きく二つの理由が考えられよう。一つは、子どものために。つまり我が子にどんな本を与えたらいいのか、あるいは我が子がどんな本を読んでいるのかを簡便に知りたい時。二つ目は、自分自身のために。母親とはいかにあるべきか、どのように我が子と関わるべきかと悩む時。前者の読者に対しては、昔話からごく最近のものまでを含む百冊を越える作品紹介は、かなり有用であろう。表紙写真入りというのもなかなか良い。また我が国ではあまり知られていないオセアニアの生活習慣や台湾文学の紹介も興味深い。後者のかなり自覚的な読み方をする読者に対しては、やはり取り上げた作品中の母親像や母子関係をもう少し掘り下げた方が歓迎されたのではないかと思われる。例えば継母の系譜では、昔話では常に意地悪役で登場した継母が、いつ頃からマーガレット・マーヒーの個を主張する親切な「まま母」や、キャサリン・パターソンの愛情深い里親になっていったのか、というような主題が時代背景を踏まえながらわかりやすく解 説されているとありがたい。またバーネットの三作では、母親と二人暮らしの『小公子』、母親のいない『小公女』、娘をほったらかしの母親を持つ『秘密の花園』の主人公、という比較はおもしろい。著者は「この三作の順番にことさら意味をもとめるのは、強引かもしれません。」と言う。しかし読者が望んでいるのは、このような多少強引すぎる位の明晰な作品分析ではあるまいか。願わくば、これら三作において母親や父親の存在の有無が、主人公の考え方や生き方、そしてプロットにどのような影響を与えているかなども論じられたい。いずれにしても母親のあり方、生き方を考える時には必然的に女性の生き方に関わってくるのであって、その点において一般文学に描かれた女性像との比較などもおもしろいテーマとなり得よう。
 作品に注文ばかりつけてしまったが、それは本書を評価していないということではない。本書も充分示唆に富み、興味深い。ただこれだけの知識と読書量のある著者には、更に読みごたえのある研究書を著してほしいと願っての注文である。最後に、本書には作品の出版年の記載がないのは残念であったことをつけ加えておきたい。(南部英子
図書新聞 1988/11/26
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