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本誌も前号で子どもの虐待を特集したが、日本では虐待はもちろん、子どもに対する人権の無視ないし軽視の傾向が相変わらず強く、人権意識は欧米諸国と比較してまだまだ希薄なようである。子どもに対してばかりではない。最近のマスコミ報道の在り方を見ていると、犯罪の容疑者などに対する人権無視には、いささか危険なものを感じる。大衆心理を巧みに操り、弱者の権利をないがしろにするような傾向は、様々な局面に露出してきている。また、人権を踏みにじるような様々な差別意識も、依然として広範に蔓延している。それは、日本人の個々の権利意識や、人権に対する感度の鈍さにも起因するのだろう。 この本は、子どもとともに人権について色々な角度から考えていこうとする全六冊のシリーズの最初の一冊である。絵本のスタイルをとりながら、見開きごとにテーマを設定し、それについて読者と一緒に考えていく。 まず、“わたしって何?"という問いかけから始まる。そこには、あらかじめ決められた正解なんてない。“わたし"の数だけ色々な“わたし"がいるのだ。そして、“わたしという いのち"“からだと こころ"と続く。 「からだとこころが まるごとひとつになって わたしは生きている」 「こころが気づかないことを からだが教えてくれることもある」 「そういうじぶんのからだを じぶんが受けとめてやれなかったら じぶんのからだもこころもかわいそうだね」 わかりやすい、やさしい言葉で、“じぶん"とは何かが展開する。その後にくる“からだと ことば"では、「腹が立つ」「頭にくる」「ムカツク」といった言葉を取り出し、「きもちをあらわすことばなのに みんなからだにつながっているね」と続ける。 自分の怒りを相手に向かって「傷ついた」とか「おかしい」とか「ちがう」ってはっきり言葉に出すことができないとき、大人も子どもも、きっとムカツイテいるという。そして、「ムカツク」があんまりいっぱいになると、「キレル」こともあるよねと、しなやかに心に寄り添ってみせる。「その前に おたがいのきもちを伝えあえればいいな」なんて、なかなかニクイ。 “ほめられること しかられること"では、「人間は ほめられてもしかられても そのひとが じぶんを大切にしてくれるのがわかれば こころが暖かい」と結ばれている。これも当然とはいえ、とてもいい言葉だ。 “いい子と わるい子"も考えさせられるフレーズがたくさんある。 「どこにいっても「いい子」でいようとしたら じぶんがどこにもいられなくなる だれにとっても「いい子」でいようとしたら じぶんがだれだかわからなくなる」 「だから いろんなひとに出会いながら わたしが じぶんを わたしにとっての 「いいじぶん」に 育てることも大切なんだね」 そうなのだ。誰にとってもいい子でいなければならない、それが強いられることの窮屈さや、それを演じざるを得ない自己欺瞞が、積もり積もって自分を失っていく。 “わたしを大切にすること ひとを大切にすること"では、「じぶんを大切にできるひとになりたい じぶんを大切にできるひとが ひとを大切にできるひとだから」と。 それぞれの場面に、素っ裸の男の子や女の子が柔らかなタッチのイラストで象徴的に描かれ、自分を大切にすることの重要さから、人を思いやり日々の暮らしの中で人権の思想に誘っていく。その問いかけと対話への案内がこの絵本の狙いでもある。自分を見詰め直すところから相互信頼へと誘い、そこから人権を考える手立てとする、この絵本シリーズの今後が楽しみだ。(野上暁)
子ども+ ウルトラ書店
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