赤い自転車

ディディエ・デュレーネ文 ファブリス・テュリエ絵

つじ かおり訳 パロル舎 1998/1995


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 主人公はこの赤い自転車。
 彼(「ぼく」となっているから彼でしょう。)はルィーズって女の子の自転車になります。楽しい日々。でもルィーズは段々大きくなる。
 「ルィーズは大きくなった。もちろんぼくもさ。ぽくは補助車をはずして、サドルとハンドルを高くしたんだ。そのおかげで前よりももっと早く、もっと遠くへ行けるようになった。」 
 しかし、
「それからまたルイーズはもっと大きくなった。でもぼくはもう大きくなれなかったから、ルィーズをのせることができなくなってしまった。そのうえぺンキははげおち、タイヤはすりへっていた。とうとうぼくは屋根裏部屋に片づけられてしまったんだ。」
 こうして、自転車の側から見ることで、「成長」と呼ばれている物の、別の側面が、よく見えて来る。絵本っていうメディアの強みが、すごうよくわかります。
 そして、
「ぼくはとってもひろいホールへ連れていかれた。(略)そのときやっとわかったんだ。ルイーズとパパはぼくを売ってしまうつもりなんだって。ぼくはいつだってルィーズのことを大切に思う自転車だった。永遠に友だちだと思っていた。それなのにだれか知らない人にぼくを売ってしまうなんて! ぼくはハンドルをルィーズの方にむけていった。
「お願いだからそんなことしないっていってよ、ねえ・・・・・・」
 でもルイーズはぼくに見むきもしなかった。まわりのおもちゃを見るのに夢中だったから」
 すごいことを描いてるよなー。 人間以外を主人公に設定する幼年物の多くは、動物や物をステレオタイプに人間に当てはめて、何かを書いたつもりになっていることが多いけど、これは違う。子どもを全然ナメてない。
 このあと、おじいさんに買われた赤い自転車は、修理され、ペンキを塗り替えられる。
「こうしてぼくは 上から下まで 青い自転車になった。」
 絵と合わせて、このフレーズに出会った時、ゾクゾクしました。だって、「赤い自転車」が「青い自転車」になるってのは、大変なことですもの。ことはアイデンティティに関わります。
 絵本ってメディア、才能ある作家たちが使えば、ホントに力あるものが作れるねー。 このあとの展開もいいです。(ひこ・田中) 
メールマガジン 1998/05/25