ジュ二ア・ブラウンの惑星

V・ハミルトン
掛川恭子訳/岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
     
 「人間が変わる」というのはいったいどういうことなのだろう。「私は変わる」とか「変わることが可能」、また「変わり続ける」ということばに潜む、類い稀なエネルギーの渦の中に一九九三年の夏を終えた。第四回環太平洋児童文学会議(京都にて開催・八月二十四日〜二十八日)の外国人議演者の中の一人、ヴァジニア・ハミルトンが残した言葉をいまゆっくり思い返している。
 そのハミルトンの古い作品に「ジュニア・ブラウンの惑星」(一九七一年)がある。オハイオ州の田舎に生まれ、育った彼女にとって「アメリカ」はいつもどこか別の、さがしもとめる世界だった。その作家が大都市ニューヨークに暮らし、母親になってくりひろげたのが、このパノラマ世界である。
 三人の男がいる。秘密の壁の奥で三人は、透明なプラスチック製球体の太陽系の懸星をみつめている。暗闇の中にいる三人のうち一人は、かつては教師で、十五年間用務貝をとおしているプールさんだ。一人は大男のバディ。二人とは離れ濃い影の中に、巨大な脂肪の塊をいすに押し込んですわるジュニア・ブラウンがいる。大きな惑星に自分の名前「ジュニア・ブラウン」をつけてもらって嬉しくてたまらないのである。
 あれ放題の校内から人気がひくと、のらねこのように教塞に入りこむ少年バディをみつけたのは用務貝のアールだった。しかしあくまでも用心深く、どんな大人にたいしても心を開こうとしなかったバディは、しばらく姿を消し、やがて現われたときには巨体をもてあましたジュニア・ブラウンをともなっていた。このプールさんの二人への接近の仕方は、人間どうしが知り合うもっとも基本的で美しい型を示している。「存在を知らせはするが、近づかず、慎重にようすを見守る。」天文学を媒体とする数学を教える教師として成功していたプールさんのすぐれた所以である。しかし彼はその教師をやめた。「世の中は変わるものだ」と教えながら、「なにか変わったことがあるだろうか」とつぶやき続けた教師は、いったい何をみつめようとしたのだろうか。プールさんは、たかみから「人間を変えようとする」教育の舞台で、自分の幕をおろした男では極かったか。
 そんなプールさんだからこそ、バディは天文学の教えを請い、こうして惑星をつくった。またプールさんは、逆にこのバディと仕事をするうちに「まったく新しい人類が少年の中で息をひそめて、時を待っている」と感じている。
 いったいこの気の毒な巨漢ジュニア・ブラウンは、バディがどれほどの時間と精カを使って惑星「ジュニア・ブラウン」をつくったのかわかってくれるのか、プールさんは不安である。「自分の悲運をになうのがせいいっぱいで、他人の運命など見向こうともしない」やつかもしれないのだから。
 ジュニア・ブラウンにとって宇宙といわれても、それはどうしようもないことだった。ブラウンはピアノの弾ける音楽の人間である。音楽を身近にかんじるブラウンにとって「天体の動きや、宇宙の広大なひろがりを知っても、孤独をかんじるだけ」なのだ。やがて場面は「ならないピアノとジュニア・ブラウンの対決に入る。金曜日はブラウンのピアノのレッスン日。今日こそジュニア・ブラウンはピアノ教師のグランドピアノを弾いてみようと望んでいる。神経症の母親が教養をもとめて出歩いているあいだに、ピアノ教師と出会い、「真の芸術家」と決定、ジュニアは教師のもとに通うことになった。しかしこのピアノ教師の家は不可解ななぞにつつまれている。部屋は吐き気をもよおさせるし、家具はつみあげられ、ピアノは壊してしまったと教師は説明する。「レッスンはいすを使ってやります。うたいながら指を動かしなさい。旋律を考えなながら」ピアノにふれないピアノのレッスン。大きな音にたえられはい泊り客の存在の有無。バディはこのレッスンに付き添ってゆく。ジュニアを大切に思っているから、理由はそれだけだった。ピアノ教師についで、バディははじめてジュニアの母親にも 近づく。そこでバディのみたものは「音のでないアプライトのピアノを弾くジュニアの姿だった。「揺れながらひきつづけているところは、まわりには聞こえない曲にあわせて体を揺すりながら、じっと物思いにふけっている、黒いクマのようだった。」ピアノ線がとりはらわれ、ハンマーは打つものもない。母親との暮らし方をバディになじられ、かばいながら、ジュニアは「バディがどれほど大切な友だちであるかを思いだした。」
 物と音を切り離して考えるなんて、もうたくさんだ、とジュニアは思った。
 一瞬、ジュニアは生まれたままの自分になった。これまではあらゆるものから、それが本来もっているものをとりのぞくことばかりやってきた。言葉からは意味をとりのぞき、言葉をつまらない、からっぽなものにした。
 このあとジュニアはピアノ教師と同じく、別の谷の花を見る「睡気」の世界にさまよう。バディはプールさんのもとにかけこみ、ジュニアと自分がいっしょにいるのに遠く離れていたこと、ジュニアのみた幻を一気に語るのだった。バディはその時泣いていた。ブールさんは「他人を傷つけなくても、自分自身を傷つけている」ジュニアには専門家の助けが必要なことを示すが、その前に時間を与えようとする。「心配してくれる人がいるのだとあの子がわかるまでは時聞が必要だし、わたしたちが必要だ」吊り網にのせられたジュニアがむかったのはニューヨークのビルの地下室だった。そこには大都会の地下の惑星に住む少年たちがこの黒い巨漠を待ち受けていた。プールさんはすべてが本当だったことを知り、教師に幕をひいた自分の中の変化を認めたのではないか。「どうすれぱいいか、いつものことながらバディには本能的にわかっていた」作品はこう終わって、長い道を歩みだす。
 九三年の夏の日の訪問で、ヴァジニア・ハミルトンはいくつもの宝石を残して去った。その中でもっとも強烈で光を放った石に刻まれた言葉は「わたしは変わる」だった。世界が変わり、子どもが変わらせられる日常をみつめながら、己れが変わることのなんと難しいことかと呟く人聞にとって、である。(島式子)