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今年出た本の中で若い作家の作品や、ヤングアダルト向けに書かれた作品で、おもしろかったものを紹介してみたい。どれもなかなかの手ごたえである。 小説ではなんといっても、山田詠美の『蝶々の纏足(てんそく)』(河出書房新社、八八0円)がすばらしい。これは、えり子という華やかな少女を引き立てるだけの存在になってしまった瞳美が主人公。「私、何も知らない子供だった。けれど、人を憎むことは知っていた。それだけで、私は十六歳で人生を知る特権を与えられたのだと思う」という瞳美が、えり子から逃れるために、初めて男の子と寝るところからこの小説は始まり、えり子にたいする憎悪と、男の子への思いと、強烈な自我が生々しく、鮮やかに描かれていく。胸にかみついてくるような迫力に満ちた作品だ。 この本が出たあとすぐに、同じ年齢の少女を主人公にした、まったくタイプの違う作品が出た。本城美智子の『十六歳のマリンブルー』(集英社、八八0円)がそれ。こちらは、「大人でも子供だもなく、・・・十六歳にして早くも人生に絶望しかけて」いる少女が、ノイローゼで薬物依存症の少年と安定剤を飲んで死にかけるという話。こう書くといかにも暗い感じがするが、実際にはいたって軽く、さわやかな話だ。絶望といっても若さ特有の気分的絶望だし、主人公 も根は明るく、絶望を楽しんでいるようなところさえある。文体も新鮮で、表紙を書いている吉田秋生のマンガに似た雰囲気もある。 また、ノンフィクションでは、橋口誠二の『まゆみさん物語』(情報センター出版社、一、二00円)がいい。ずっと少年少女をテーマに仕事をしてきたが、このごろかれらがよく見えなくなったという著者は、あらためてベルリンや日本の十代を追っていくことにした。中村あゆみや尾崎豊のコンサートで、著者はふとつぶやく。「以前コンサートでファンが死ぬ事故があったせいもあるだろうが、ここまで管理されて聴くロックって何なのだろう」。この本は、管理の中でしぼんでいく若者たちについての本であり、それと同時に「自由な時代を生きる不自由さ」にとまどう若者たちについての本でもある。確かに「今、僕らは時代に試されている」のかもしれない。 次に若手の児童文学マニアと映画マニアの好エッセイを紹介したい。まず『赤木かん子【BOOK】術・子供の本がいちばん!』(晶文社、一、二00円)児童書について書かれた本は多いが、ここまで徹底して楽しく書かれた解説風エッセーは、ほとんどなかった。著者は、いってみれば児童文学界の淀川長治といったところ。扱う本を単純にしてしまう傾向はあるものの、あふれこぼれる児童書への情熱はすばらしい。 延中桂樹もその情熱では、負けていない。『2000年のフィルムランナー』(フィルムアート社、一、八00円)は百本近くの最近の映画を小気味よく切りまくっているが、あちこちにみられる新鮮な指摘が楽しい。たとえば「バッド・ボーイズ」を扱ったエッセーに、こんな箇所がある。「なぜ監獄ものは面白いのか? おそらく、監獄という環境が触感的だからである。まず、あそこでは金属がむきだしになっている。・・・そして囚人たちは、つねに見張られている。見るよりも、見られる存在・・・それから監獄では、物が極端にとぼしいので、手に触れるものはなんでも利用しなければならない。だから、物の存在がひときわ大きくこちらに伝わってくる」 翻訳物では、マーク・ヘルプリン『ウィンターズ・テイル』(岩原明子訳、早川書房・文庫版、上六00円、下五六0円)がおもしろかった。一言でいえば、ブラットベリの詩的な感性が、トマス・ウルフのエネルギーでつっ走ったような愛と希望の物語とでもいうことになるだろうか。舞台はニューヨーク。時代は一九00年ごろのからの約百年間。大泥棒パーリーに追われ、白馬に乗って百年の時間を駆けぬけ、記憶を失ってしまうピーターを中心に、奇妙で魅力的な人々が、それぞれの愛と理想を追いつつ、知らず知らずのうちに、壮大な「なにか」を作りあげていく。ファンタジーもののファンはぜひ読んでみてほしい。(金原瑞人)
読書人1887/07/26
テキストファイル化 妹尾良子 |
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