せいめいのれきし

バージニア・リー・バートン
いしいももこ訳 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
     
 初めて「せいめいのれきし」という本を見たとき、私はたぶん五歳くらいだったと思います。この本は、「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」「ちいさいおうち」などでも有名なアメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンが、「太陽ができたとき」から「今」にいたるまでの流れを、劇仕立てで描いた壮大なスケールの絵本です。様々な科学的な事実が(描かれた当時なのに)きちんと説明されていて、「無脊椎動物」とか「ちんでん物」とかいうむずかしい言葉もいっぱい出てくるこの本の文章を、幼稚園児だった私がまともに理解できたとは思えません。でも、何度も何度もくり返し開いたお気に入りの本だったのです。まず惹かれたのは、一場面ごとにがらりと変わる、迫力ある絵でした。
 例えば「プロローグ4ば」では、地球の表面がまだ真っ赤に燃えていて、暗い空に光る溶岩が飛んでいます。次の「5ば」は一転して、紫っぽい暗い色の地面に大きな凹凸ができ、山や谷ができはじめています。この場面の絵と、「りんごがしなぴたときのしわのように(山や谷ができた)」という言葉には、すごく強烈な印象を受けました。(高校生になって地学を習ったとき、ふいにこの場面がありありと目に浮かんだくらいです。)また、「2まく4ば」では暗く寒そうな世界に恐竜たちが闊歩していたのに、「5ば」のぺージをめくると、暖かそうな緑の森にほ乳動物が現れて、舞台の左すみに立っている案内役のおじさんが、小さな馬のような生き物に「お手」をしています。
 そう、もうひとつ私が惹かれていたのは、この案内役のおじさんでした。この人は、太古の時代の「プロローグ」から、人間の祖先が現れた氷河期・・・「3まく5ば」まで、常に舞台の左前に立っていて、舞台で起こっていることを説明してくれているのです。そして、このおじさんがいるかぎり、舞台の上でどんなこわいことが起こっても、「それはこっちまでは来ない」と、私は思っていたのです。たとえば「4まく4ば」では、大きな歯の生えた恐ろしげな魚が大口をあいてこっちを見ていますが、色のいる海は、おじさんの立っている後ろでまるでガラスにさえぎられているように終わっていて、おじさんは決して水に飲み込まれたりはしません。やがて、「太古から今に続く時の流れ」という、抽象的な、とても大きな概念が漠然とわかり始め、なんだか怖くなった時も、「大丈夫、おじさんがいるから」と思った覚えがあります。
 今考えると、このおじさんを含めた、劇場仕立てという仕組みみは、非常に人きなテーマを小さな子に手渡そうとした作者の、工夫の産物かもしれません。間に大人が立って責任をもって手渡せば、子どもは受け取れる…そんな信頼感を感じるのは、探読みでしょうか。
 こわいことはもう起こらない「人問の時代」が始まってまもなく、おじさんが年をとりはじめ、「あとは君らに任せた」とばかりに静かに姿を消してしまうことにはっきり気がついたのは、私が大人になってからでした。(上村令
徳間書店 子どもの本だより「東新橋発読書案内」1999.06