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忘れたころにやってくるのは災難ばかりではない。上橋菜穂子の三作目も、待ちかねた読者がこの寡作なファンタジー作家の名を忘れかけたころ、ようやくあらわれた。待ったかいのある力作である。 〈新ヨゴ皇国〉の第三皇子チャグムは、水の精霊の卵を宿す。その卵は百年に一度、十一、二歳の少年のからだに産みつけられ、夏至の日にかえるという。もしそのまえに卵食いの妖怪ラルングに襲われてしまえば、以後一滴の雨も降らず大地は干上がってしまうのだ。妖怪の魔の手を逃れ、なんとしても無事孵化(ふか)させなければならない。 ところが、新ヨゴ皇国の聖なる伝承によれば、聖祖トルガル帝(とよばれる初代王)によって水の魔物はすでに退治されている、ということになっている。帝は建国神話を守るために、皇子の暗殺を命じる。 王宮を逃れる皇子を助けるのは、「短槍使いのバルサ」という女性の武人、そして呪術の師弟の三人だけである。迫る刺客、夏の訪れとともにしのびよる妖怪の魔の手――独特の神話的世界観を提示しながら、作者は冒険サスペンスの中に、やさしくも美しい「哲学」をていねいに埋めこんでいく。 アニメ化も、ゲームソフト化も十分可能なおもしろさだし、作者はひそかに続編を構想しているのではないかとも思える。次作もたのしみ。 (斎藤次郎)
産経新聞 1996/08/09
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