子どもの本の森

服部仁

           
         
         
         
         
         
         
    
    

戦争の悲惨さ 命の貴さ知って

 五十年前の八月十五日。静岡市は暑くしろじろと晴れわたっていました。十七歳だった
わたしの衝撃。鮮やかな空の色を今もまだ忘れていません。
 その日の正午戦争は終わった。戦争に生活のぜんぶが動員され戦争が終わるときがくるなどとは思いもしない毎日でした。
少年のわたしは何もかもわからなくなり、「どうしたらいいのか……」「なぜ?」……。
わたしは疑いでいっぱいでした。

 戦争が終わって

戦争が終わって、四年がたって『日本戦没学生の手記・きけわだつみのこえ』という本に出会ったとき、初めて≪戦争≫がわたしの前にたち現れました。戦争が、どんなに邪悪な存在か人間を残酷にふみにじるか。そして戦争の不正をみぬいていた人たちがその戦争の時代の中にいて、戦争で死んでいった、その事実が何よりも重いものでした。人間のいのちは地球よりも重い。人類は戦争をなくさねば ― そのためにわたしは何をすべきか。そう考えはじめた第一歩でした。
 今から二十二年前に理論社から『猫は生きている』という絵本が出ました。父親が戦地にいっていて、母親と三人の兄弟の家。そこにすむノラ猫と四匹の子猫たちのたどった運命で、東京大空襲の恐ろしさをあきらかにしていました。
「おかあさんは四つんばいになって、両手で、かたい地面を掘りだしました。右手のやけどのいたみもわすれて、むちゅうで掘りだしました。指のつめははがれ」。けれども、人はみんな死に、猫たちだけが焼け跡を歩きつづけます。戦争は悲惨です。戦争にどんな理由をつけても戦争には全くなんの意味もありません。そしてその悲惨さにつきおとされるのはつねにつねに、なんでもないあたりまえの、わたしたちです。この絵本から四年後、ドイツ児童文学『あのころはフリードリヒがいた』が岩波少年文庫から出ました。ユダヤの少年フリードリヒが十七歳で、同じ街の人間に殺されるまでをエピソードでつづってい
ます。
 日常の暮らしを営みたいというそれだけの理由でも、人々は少しずつ知らないうちに、≪戦争≫に加わっていく危険をわたしたちは知らなければなりません。
 わたしが≪戦争≫の実相に気付くきっかけとなった『きけわだつみのこえ』により近づきやすくした本が『戦争のなかの青年』です。ドイツ戦没学生の手紙、農民兵士の戦争証言、少年兵にとっての敗戦、が紹介されています。この夏、ぜひ読んでみてください。
(静岡子どもの本を読む会 服部仁)
とりあげた本
「猫は生きている」(早乙女勝元作、田島征三絵、理論社)
「あのころはフリードリヒがいた」(リヒター作、岩波少年文庫)
「戦争のなかの青年」(大島孝一作、岩波ジュニア新書)
テキストファイル佐藤明子