絵本、むかしも、いまも…

第22回「素朴なぬくもり――茂田井武」
セロひきのゴーシュ(宮沢賢治:作 茂田井武:画 福音館書店刊)

           
         
         
         
         
         
         
    
 宮沢賢治の『セロひきのゴーシュ』はよく知られた物語ですが、絵本で『セロひき…』と言えば、やはり、茂田井武の絵本を思い起こす人が少なくないように思います。素朴で、独特のぬくもりを感じさせるやさしさと、底を流れるかすかな哀愁が、読者の心を捉えます。
 茂田井武は、1908年(明治41年)、東京日本橋の旅館の次男として生まれます。まだまだ江戸のなごりを感じさせる日本橋の大きな宿屋は、院展の画家も多く利用し、少年の画家への夢を育むにふさわしい環境でした。しかし、1923年の関東大震災で生家は全焼、生活は一変します。夢見ていた美大の受験にも失敗し、1930年、写生旅行と称して茂田井は、日本を旅立ちました。たどり着いたパリでは、美術学校に学ぶでもなく、美術館に通うでもなく、食堂の皿洗いなどをしながら、ひたすら独学で絵を描きつづけていたといいます。
 1933年に帰国した茂田井が本格的に童画に関わるのは、戦後。1946年日本童画会に入会する前後で、茂田井、38歳の頃です。絵本『セロ引きのゴーシュ』は、1956年福音館書店の月刊絵本「こどものとも」の一冊。当時、茂田井は持病の気管支喘息が悪化し、肺結核を併発して入退院をくり返しながらも、病床で仕事を続けていました。編集者松居直が、『セロ引き…』を依頼しに茂田井の家を訪ねた時も、茂田井は病床で、応対で出た夫人が体を気遣って面会を躊躇するのを、茂田井が自ら声を上げ、松居の話を聞いてこの仕事を引き受けたといいます。文字通り、命と引き換えのような仕事振りで、茂田井武の『セロ引きのゴーシュ』は完成しました。
 残されたゴーシュは、苦悩する様も含めてどこか飄々と、ユーモラス。茂田井独特のゴーシュ像ですが、画家はこの主人公を、洋服を剥ぎ取った人形をモデルに描いたといいます。道理で、ゴーシュの動きがどこかぎごちなく愉快なのはそのせい。それでいて、ゴーシュを囲む夜の静寂も夜道に漂う草の匂いも、音楽会のざわめきや響き渡るチェロの音も、ちゃんと画面から伝わってくるのです。
 画業は、わずかに十余年。ほんの短いその期間に、茂田井は珠玉といえる数々の作品を残しました。その中には、愛する三人の我が子たちと語りながら、一緒に描いた作品も残されています。
 我が子に、そして多くの読者である子どもたちに寄せた朴訥で一途な愛情は、江戸のなごりもパリのエスプリも、どこか乾いた叙情すらも包み込んで特有のユーモアとやさしさとなって、その作品から滲み出し、今も私たちの心を掴んで離しません。(竹迫祐子)
         テキストファイル化富田真珠子
徳間書店「子どもの本だより」2001年1月/2月号