潮風にふかれて

ジルケはじめての航海

クラウス・コルドン

いそざき康彦訳 さ・え・ら書房 1989

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 「日本の工業地帯にすむトモコは、呼吸も困難なほどひどい喘息になった。両親は、トモコをなんとか健康な体にもどそうと、無人島に旅して、そこで六週間をすごした…」 西ドイツの新聞にも紹介された日本人の少女の話をもとにコルドンは『潮風にふかれて』を書いたという。
 大工業地帯に住む九歳のジルケはひどいせきに苦しみ、どんどんやせていった。両親は医者からジルケの命はあと二年と告げられる。悲しむ二人は、「南の海へ旅したい」というジルケの願いをかなえてやろうと決心する。長いこと家のために節約し仕事をしてきたピット夫妻だったが、南の海に旅立つために家を売りヨットを買う。お父さんは航海術を学ぶ。船の名前はジルケを本当の孫のようにかわいがってくれたブロイアーおばあさんの名前をとって「ブロイアー号」だ。
 船の旅は、ブロイアー号の進水式から始まって、まずは試しにアテネからクレタ島へ向かう。クレタ島からは一路南の島への航海となり、スエズ運河を渡り、紅海を越え、インド洋に出る。南の島といってもはっきりした目的の島があったわけではないが、船は赤道を越えてスマトラ島の近くの無人島、トカゲ島に到着する。このトカゲ島で、ジルケたちは六週間を過ごす。
 スエズ運河や熱くて塩からい紅海やインドの猛スピードタクシーなどの旅にそった各地の様子やエピソードもいいが、航海が進むにつれて起こるジルケたち家族の変化が魅力だ。船の旅で三人とも日に焼けて、お父さんはひげまでのばし、みんな野生的になる。外見ばかりでなく、海という大きな自然に抱かれて気持ちもゆったりしてくる。
 学校はどうするのだろうとか、もう家へは帰れないというようなジルケの不安は影をひそめ、ピット夫妻も「以前のぼくは、世界を航海するのをどうしてあきらめてしまっていたんだろう?」という言葉のように、出発前の暮らしがかえって不思議に思えてくる。ただこの楽しさとうらはらに、ジルケの誕生祝いに見せた「両親のほほえみの中には、わずかな悲しみが、影を落としていた」というような、所々にでてくる両親の心痛は胸をうつ。
 さて、ブロイアー号の航海は、ジルケとお父さんとお母さんの家族三人だけだったら、こんなに明るくにぎやかなものにはならなかっただろう。コスタスとコスタス二世という密航者がいたのだ。もっともコスタス二世は小犬だが。コスタスはクレタ島から船に忍びこんだ少年で、海へ出たまま行方不明の父親を捜しているのだが根っから海が好きな自然児だ。コスタス二世は、インドでコスタスが拾ってきた小犬だ。コスタスはブロイアー号でお父さんの片腕となって働き、ジルケのよい友だちとなる。ジルケがドイツ語を教えたり、監視艇がくると洗濯物入れに隠れるなどコスタスをめぐるエピソードは笑いを誘う小犬のエピソードと共に物語を盛りあげている。物語に変化を与えるといえば、ジルケとブロイアーおばあさんの手紙のやり取りも一役かっている。
 ところで、ロビンソン・クルーソーのようにトカゲ島で過ごした後、航海はどうなるのか?海のきれいな空気のおかげで、ジルケのせきはいつのまにか止まっていた。夢かと喜びながらも、先のことを考えていなかったピット夫妻はとまどう。結末は、ジルケの長生きを願い、船を売って空気のいいクレタ島のレストランを買いとりそこで一家三人で生活することになる。
 地球の環境破壊が大きな問題になっている今日、大気汚染から出発した本書は現代にぴったりの作品だと思う。また大気汚染の問題ばかりでなく、本書にはもう一つ重要な要素がある。人間の生き方を問い直している点だ。航海で人生を取り戻すのだというピット夫妻。私はこの作品から親子三人でヨットに乗って世界一周をしたエリカ号のことを思い出した。人間らしい生き方とは何か? 改めて考えてみてはどうだろう。(森恵子)
図書新聞 1989年8月19日