シロクマたちのダンス

ウルフ・スタルク


菱木 晃子訳 偕成社 1986/1996

           
         
         
         
         
         
         
         
    
ラッセのおとうさんは不器用でうだつのあがらない人。でも、ラッセは彼が大好き。食肉の解体を生業としているおとうさんは白衣を着て、大きな冷蔵室の中でいつも仕事をしています。その姿はまるでシロクマのよう。
クリスマス、おとうさんは奮発して、おかあさんにカラーテレビをプレゼントするつもり。もちろんその大事な秘密をおとうさんはラッセに教えてくれています。その日、サンタ役のおばさんは、てっきりおとうさんからのプレゼントだと思っておかあさんへの素敵なルビーのネックレスにそえられたメッセージを読んでしまいます。「まもなく父親になるぼくと、まもなく母親になる君」。そう、おかあさんは、おとうさんではない、別の男との子どもを妊娠していたのです。こうして両親は別れます。
今度ラッセが一緒に暮らすおかあさんの新しい伴侶は歯医者のトシュテンソン。彼は、ラッセの成績が悪かったのは家庭環境のせいだと思い、英才教育を施す。そのおかげでラッセは勉強をする喜びも知り、優等生へと変貌していきます。服装や髪型だって、トシュテンソン好みのおぼっちゃん。結構それが決まってたり。でも、久しぶりに町で出会ったおとうさんはラッセのことを気が付きません。
両親の離婚、母親の再婚、父親との別れ、住まいの移動と生活の変化。うーんなんか暗そう。けどそうでもないのは、この物語に登場する大人たちがみんな欲望に正直で、ラッセの前でもそれを隠さないからです。
おかあさんは自分の伴侶としておとうさんよりふさわしいと思ったトシュテンソンと一緒になりますが、その言い訳をしません。トシュテンソンも、自分の息子として迎え入れた限りラッセにはそれにふさわしい子どもに変身してもらいたいと力を注ぎます。おとうさんは、せっかく買ったカラーテレビをおかあさんが出て行く日に怒りにまかせて窓から投げ捨てます。
善し悪しはともかく、社会は本音(欲望)と建前(ええかっこ)で出来ていることを、現代の子どもは知っています。これまでは、「しかしそれでも、家族は違う」と言えたのです。が、今はそれに対しても不信の目が子どもたちから向けられています。「お前を愛しているから、お前のためを思って、」といったセリフを建前として子どもたちは聞くようになっています。そんな時代の中では、大人は子どもに向かってもう少し正直であるほうがいい。
この物語、大人が正直だから、ラッセも正直に自分の欲望に沿って動けます。いくら生活が向上し、成績が上がるからといって、トシュテンソンと暮らすより、自分はやっぱりおとうさんの子どもでいたいと。「かあさんのことが大好きで、すべてのことが悲しいという気持ちをつたえたくて」。大好きでも、自分に正直であるためには、かあさんと別れてとうさんと暮らしたい。なぜなら、「自分がだれなのかは、自分で見つけなければいけない」のですから。(ひこ・田中
徳間子どもの本通信 1997/11