空からおちてきた王子

C・ネストリンガー

佐々木田鶴子訳 ほるぷ出版 1991


           
         
         
         
         
         
         
     
 王と女王と王子がいる。不思議もある。まるで、メルヘンのようだ。が、 不仲の王と女王は、どちらも王子を溺愛している。二人は別れ、王子を奪い合うが、王子はどちらも選ぶことはできない。でも、選ばなければならない子供の苦しみ‥‥。
 極めて現代的な素材だ。 なら、メルヘンの型を借りて、現代を浮かび上がらせる試みなのか。
 でも、微妙な日常世界を、隠蔽することなく、リアルに描くタイプのネストリンガーが何故、そんなことを? どうやら話は逆のようなのだ。つまり、メルヘンの型を借りて現代を、ではなく、現代性を持ち込むことで、メルヘンの型をズラす。
 例えば、王子は、大鳥に捕らわれた娘と出会う。なら、王子は娘を救い、結ばれる筈だが、この娘はガキの王子のことなど目じゃない。愛しているのはピンクのクマちゃん。王子は彼女を逃がし、クマに会わせる。なのに、「手にはいるもので一番いいのは、やっぱりあの大鳥だわ」と彼女は、大鳥の元に帰ってしまう。
 また、誘拐された王子を救うのは、悪党の家に住むペットなのだが、悪党たちはこらしめられる訳ではない。彼らと一緒にいるおかげで、食い物が楽に手に入るから、とペットは言うのだ。
 ディズニーを例に挙げるまでもなく、メルヘンは近代秩序の枠組みに捕らえられ、安全なものとして、今、私たちの前にその身をさらしている。
 この物語は、それに捕らわれたかのように見せかけつつ、内部から揺さぶりをかける試みだ。 (ひこ・田中 )
産経新聞 1991/05/10