水蜜桃

花岡大学


           
         
         
         
         
         
         
    
 飛鳥に近い橿原神宮駅で乗りかえて、電車が吉野口あたりにさしかかると、車窓を、掃くように木々がかすめ去る。
 斜面の裾を巡る軌道がカーブしているせいで、速力を落とした電車は次第に山峡の中に入って行く。水底のような暗緑色の空気の層を穿って行く前方には、大淀や上市や吉野の町が、川添いに傾いて現れてくる。
 大和国中(くんなか)の背後に隠れた吉野の山谷は古代王朝から鎮魂の霊地だった。ことあるごとに帝王たちは吉野に詣でては、魂迎えをして現世の利益を祈った。
 そのくらく神の鎮まる吉野の一角は、季節の巡りに合わせて全山を花に変える。樹は枝々の先から余す所なく淡紅色の花片を滴らせ、ほとばしらせ、狂気の如く咲く。華麗な桜の哄笑は声がないだけに、怯い。谷も山もまだ草木が自らの内部に緑を折り畳んでいる時、花の暈は山や谷に映え、川筋を明るくする。
 花岡大学はこの死と生と同居する吉野に育った。古京の背後に位置するがために、陽に対しては陰、秘史の舞台になることが多かった、吉野に生きた。
 いや、花岡大学は自分の中に新しい吉野を創ったともいえるのだが、それは現実に存在する風土と深くかかわりながらも似て非なるものだった。愛に満ちた浄土の地、安易に考えられがちな心象風景としての吉野は、実はそうではなかったのではないか。民の内部で骨肉化した、形而上的自然は明るさばかりでなく、恐しさも暗さも備えていた。
 本書の作品を考える時、右の前提を再検討することなく語りだすことはできなかった。
 ピーター・カヴニーは「子どものイメージ」という本の中で「子どもに主たる関心のある小説には、フロイト以後の心理学の影響がさらにはっきりと認められ、子どもの性格の複雑さ、驚くべぎ残忍さ、軽い無邪気さとは正反対の性質などを強調している。」と、書いている。
 子どもは、翼のとれた天使のように無垢ではないという考えが生まれて以来、無垢の否定には大きく分けて二つの立場があった。フロイトとユングである。
 フロイトは幼児の無意識的性衝動に目を向けたが、ユングは深層心理には人間がまだかつて動物だった頃の、さまざまな原初的イメージがあって、それが知らず知らず行動と結びついていると考えた。この「集合的無意識」は人類が普遍的に継承した神話系の一部で、再生の願望を宿しているのだという。
 こうした心理学サイドからの分析によって、子どもが美化された存在でなくなった時、作品に登場する子どもは生きた一個の生命体として多様な奥ゆきを持つはずだった。
 ところが、現実の作品はそうではなかった。子どもはまだ安易で、ヤワな描き方しかされず、大人にとって都合のよい解決しかされなかった。本当の意味で、子どもの内部にまで踏みこんだ、あるいは踏みこんで、人間としての全き子ども像を表出Lようとしたのは、ほかならぬ本書の花岡大学が初めてである。
 考えてみれば「文学の根源は慈悲以外にない」と喝破する氏が、リアリズムを標傍する他の書き手をリアリズムで超えたのは、宗教精神の彼岸に真実の人問像を見ていたせいであろうか。
 それともまた、この方向こそが人間探究の最短の道であるのだろうか。
 もしそうだとすれば、私は重大な問題提起をしているということになる。文学作品の根底に宗教精神を据えることが、とりもなおさずこの合理主義の時代に、真のリアリティを把握し得る証左となるという提言は、未だかつてなかったからである。
 本書に収めた五話を前に、私は長い時間黙然と動けなかった。呪術に満ちた吉野と集合無意識論のユングが去来した。対時していると幾つもの声が立ち上った。ここには花岡文学の異形の絵がある。
「鈴の話」
 新しい母が来たのはユキが小学校三年生の時だった。母は甘え寄る娘に冷たかった。やがて妹が生まれると、ユキは妹を可愛がることで母の歓心を買おうとする。だが母は決して心を開こうとしないばかりか、妹が喜ぶだろうとユキが苦心して持ち帰ったカミキリ虫で、自分の髪の毛をぷちぷちと切られることになっていく。

 切られておちた髪の毛は、ゆうぐれになってから、ふきはじめたそよ風に、えんさきいちめんにちらかっては、まるで生きもののように、ひそひそみ動いた。それを、じっと座ったすがたのままのユキは、とおいところをたがめるような眼で、ぽんやりとみていた。すると、その眼のおくの方から、思いだLたように、きらりと光る、たみだのつぶが、おしだされてきて、それがほおをつたってぽろりとこぽれおちた。そのたびにユキは、びっくりしたように、あたりを、すばやくみる眼つきをしたが、すぐまたつめたい能面のよう次表情にかえると、やっぱり、とおいところをみる、ぼんやりとした眼つきにかえってしまった。

 ここには不気味に移ろい沈んでいく夕刻の静寂が、恐ろしいほどに凝縮Lている。カミキリ虫を一心に娘の髪ににじりつける母も孤独なら、ユキもまた能面のように凍てついている。いっとき、涙の粒が押L出されても、そこに溜った感情を恥じるとでもいうふうに、少女はびっくりしたようにあたりを見まわす。封殺された、相容れることのたい両者のかなしみをよそに、吹き始めた微風の中で、切られた髪の毛が、生きもののようにひそひそと動くのである。
 長い艶やかな髪は、ラストにきて更に重い。若い生命の象徴でもある豊かた髪は、ここでは無残にもつれ、からんでいる。

 岩と岩とのあいだによどんだ流れに、ゆるゆると流れてくる死体は、ながい髪の毛を、藻のように水に汰びかせながら、あおむけに決り、こっちの岩へあたっては、しずかにむきをかえ、またあっちの岩にあたっては、くるっとむきをかえたりしながらひもでしっかりくくってある足を先にLて流れ寄ってきた。

 ユキは自らの命を絶ったのである。純也は死体を両の手に抱き上げたまま、雪の上に膝をついておんおんと泣く。腰につるLた小さな鈴はきらきらと明るい雪の谷間に、澄んで柔い余韻をひいて、静かに鳴りつづけている。
 このラストシーンを作者は泣きながら書いたという。(まゆ一ら5号)利発で明るい、健気な少女がなぜ死を選ばねばならなかったかについては、説明がない。だが、私は呪われた家系の故に、実母や祖母と同じように入水したとは受けとらない。
 異常なまでの継子いじめも、血の呪縛も、作品の背景であって、大切なのはユキも母も山ノ内先生も、さらには純也さえも孤独だということである。天折したユキの死はあまりにもむごいが、彼女はせいいっぱい生きようとした。そう感じたが故に、いつになく作者は泣きながら書いたのである。
 そして小さな弔鐘のように鈴の音を配した。無残な死の向こうに、作者は生の持つ大きな意味を問いかけているのである。
 その証左が、この作品の残像が意外に官能的であることだ。エロティシズムともいえる、たおやかな美しさである。

 鈴の音色を、じっとききすましている、その耳は、すぐそばまできたときよくみると、いちめんにこまかいうぶ毛におおわれて、ほわほわとやわらかく、うさぎの耳のように、あわい血のすじが、葉脈のようにひろがっていて、思わず、眼をみはったほどきれいだった。

 生命の鎮魂歌を色どったのは、このエロスの愛と、鈴の音であった。浄土ともいえる雪の中で、純也に抱かれたユキに贈る天上の音曲ともとれるのである。
「午後一時五分」
 「おれ」とシュソペイの葛藤と和解を通して、自己に率直に生きる者への心の傾斜を、みごとに表わしている。状況に合わせて都合よく変化する人問の弱さへの焦らだちと、一生懸命に立ち向かっていく一途さへの共感がよく描かれている。
「水蜜桃」
 啓司と行文は一見仲のよい兄弟だが、啓司にとって本当の母ではなかった。そのため弟に対して暗い嫉妬心を抱いていた。
 ある日のこと、牛を曳いて戸外へ出た兄は弟が水蜜桃をズボンのポケットに隠すのを見る。一人だけこっそりと母にもらって来たに違いないと思いこんだ時から、啓司は平常心を失っていく。彼はいやがる行文を牛の背に乗せて走らせるのである。
 そこに殺意があったかと問われれば、あったと答えるよりしかたがないだろう。だが、これに類した殺意を、長い人生の問に一度も抱かずに生きるかと間われれば、否と否定せざるを得ない。殺したい奴たと世の中にいっぱいいる。
 だが、殺意が現実化したとなれば話は変わる。牛から落ちた行文は死んだ。啓司にとっては
「じつに、まったく、思いがげないことであった」というのも本当である。弟を死なせた以上、生きていることは許されない。兄はよく光る利鎌をとりあげて、恐ろしい決意を固める。
 しかし、行文は本当に死んだのではなかった。息を吹き返しておそろしい兄の顔つきを見上げている。ここでもラストシーンは印象的である。

 啓司は、つめたく光る鎌をとりあげた。
 その白い刃がちかっと光った。行文の眼のなかでも、ちいさい白い光が、ちかっと光った。

いったい行文の眼の中で光った「ちいさな白い光」とは何を意味するのだろう。難問である。
蘇生して意志をとり戻し、兄の早まった行為を押し止めようとする光りか。なぜ、こわい顔をして鎌をとり上げたりしているのかという疑問の光りか。二人の間の壁が溶けて、ひとり苦しんでいた兄を許そうとする光りか。少なくとも、兄さんは厭がるぼくをなぜ牛に乗せたのかというような、素朴な疑問ではなさそうに思う。
 答えは、あえて出さなくてよいだろう。それでもただひとつはっきり理解できるのは、人間とは-大人も子どもも-心の内部に暗い洞屈を持っているということである。知覚しない無意識の谷間で、だしぬけにぽかりとその扉が開くことである。
 殺意とか自裁とかは子ども文学に無縁のものとされてきたが、そういう主題を目の前にひき据えられてみると、私たちはこれまでの作品の甘さ、迂遠さに萎える。
「やわらかい手」
 空襲の最中、たった一人の妹の手を突き放して助かろうとしたことに対するじぶんの醜さを、順二は許すことができない。死のうと思うが死ねない。ひたむきな少年の心を、安っぽい同情や偏見や誤解がとり囲んでいる。その中で順二の精神はやっと広々と解き放たれていく。
「黒い門」
 カヨは初めて父の温い愛情に包まれて安らかに眠るが、翌朝公金を使いこんだ父は黒い門にくびれて死んでいた。たった一度の父への信頼はうらぎられた。非情な人生に直面して行かねばならないのはカヨばかりではない。これは人問の弱さとかなしさを直視しながら、なお救いを問いかける作品である。

 ここに収めた五編に共通Lているのは、主題の特異さと、焼けただれるような粘っこい追求の姿勢である。その一途さは、美しさも醜さも、賢こさも愚かさも、ひたむきさも心もとなさも、究極の姿でとらえようとする誠実さに拠っている。敬虔な仏教徒としての筆の赴く所、たとえ子ども読者を想定する時も、いや、それだからこそ潭身の力を振わずにはおれなかった。すぱらしいというほかない。
 現代児童文学が見せかけの豊饒の中で、深刻な飢餓をささやかれるのは、一つには作家不在からくる密度の浅さであった。上べは楽しそうでも、作者の慟哭も、呻きも、さては笑い声さえも届いてこないのだ。
 社会的な主題をいくら力説しても、人物は痩せていた。
 花岡文学が強烈な人物像を造型することによって、人間の本質に迫る命題を提示したこととは対蹠的である。
 時には幻想的神秘的に、時には怨念と見紛うものさえ美学にまで高めた。エロティシズムは妖しい詩情となってたゆたったが、その背後ではやはり吉野の情念と深く関っているのではないかと、私には思えてならない。本書に収めた作品は、今度建立されることに決った童話碑と共に、碑は吉野の梨園に、「水蜜桃」の詩魂は心の奥深く、長く住まうことになるだろう。(川村たかし)