スパイになりたいハリエットのいじめ解決法

ルイーズ・フィッツヒュー

鴻巣友季子訳 講談社 1997

           
         
         
         
         
         
         
    
 ルイーズ・フィッツヒュー『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』(以下、『ハリエット』と略す)を読んでいて思い出したのが、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『裏窓』だった。後者は足を骨折して動けないカメラマンが、退屈凌ぎに向かいのアパートの人生模様を観察しているうちに、殺人事件らしきものを目撃するという話である。『ハリエット』には殺人事件こそ起こらないが、主人公が数箇所の家庭の様子をこっそり定期的に観察しているところが似ている。そして原作が出版当時(一九六四年)のアメリカ児童文学界に衝撃を与えたのも、おそらくは、子どもから遠ざけていたはずの大人社会の実態をいつのまにか作品化されてい、という驚きからだったことだろう。 
 ハリエットは裕福な家の一人娘で一一歳。将来作家になる訓練として、観察したことをいつもノートにつけている。ハリエットがスパイしているのは有閑夫人や、移民一家、一人暮らしの職人、そして客を連れてきては最近購入した品々を見せびらかすことだけを生きがいとしているある夫婦ーーこの夫婦は物質に支配された社会のゆがみを象徴しているーーなど。だからハリエットの観察はそのままアメリカ社会のスケッチとなっている。 
 さて、ハリエットのノートには級友についても歯に衣着せぬ感想が記されていた。ところがそのノートが級友に見つかり、級友全員が反ハリエット同盟をつくった。当然ながらハリエットは孤立する。だが、彼女は自分が書いたことは真実だし、ノートは他人が読むべきものではないという「たてまえ」に固執し、和解をこばむ。そもそもハリエットは孤独な子どもだった。両親はナニーがいる間はナニーに世話をまかせっきりだったし、ナニーが辞めた後、娘が理解者を失って途方にくれている事を察することができなかった。ハリエットはノートにしがみつき、級友たちに反撃し、軽い登校拒否もおこす。だが、元ナニーの助言がハリエットの目を開かせ、ハリエットは和解のためにあえて嘘をつく。 
 九一年、高鷲志子は「『反道徳的』メッセージを伝える『Harriet the Spy』」(『児童文学評論』二六号)の中で、健全な「常識」に縛られてきた子どもたちに、反道徳的ともとれる嘘の必要性を語るこの本を高く評価し、いまだに日本語で読めないのは残念だと述べた。これに対しわたしは、人生の真実と嘘についてなら、もっとリアルにもっと簡潔に描いたパトリシア・マクラクランの『ふたつめのほんと』(八八年)が九二年に訳されたから『ハリエット』の出番はない、と主張してきた。けれども今回その考えが変わったのを感じる。それは日本の児童文学界にはやはり『ハリエット』の「反道徳的」な刺激が必要な気がしたからだし、問題小説のヒロインを先取りしたハリエットの個性を子どもたちも楽しむだろうと思ったからである。まさに侮れぬ底力をもった作品といえよう。(西村醇子
図書新聞 1995/07/02