シャーロットのおくりもの
(Charlotte's Web)


E.B.ホワイト

鈴木哲子訳 法政大学出版局 1952/1973

           
         
         
         
         
         
         
     
ひ弱に生まれた子豚のウィルバーは、少女フェーンに救われ、フェーンの叔父の納屋の小世界で成長していく。納屋に棲むクモのシャーロットは、屠殺への不安に脅かされるウィルバーを母のように導き、知恵を授け、励ました。賢いシャーロットは、自分の巣に文字を浮かびあがらせることで、人間にウィルバーの特殊性を訴える。有名になったウィルバーは品評会で優勝してベーコンへの運命を免れた。だが、シャーロットは寿命が尽き、ひとりぼっちで死んでいく。真の友を失ったウィルバーの悲しみを癒すように、やがてたくさんの子グモが誕生した。ウィルバーは、納屋に残った三匹のクモに名前をつけ、そこから、いのちの新たな関係が始まっていくところで物語はとじる。
ファンタスティックな動物世界を舞台に、「私たちはいかに生かされているのか」という生命讃歌の物語をリアリスティックに描いた。ここでは、ベーコンという人為的な死に抵抗しつつ、新たないのちを誕生させ得る静かな自然の死には、再生という積極的な意味が込められている。そして、その普遍的なテーマと上質なユーモアは、今なおみずみずしい古典として、多くの子どもたちに読みつがれている。 食われるべきいのちの問題は、ここでは巧妙に昇華されている。ベーコンにされた豚は本来、人間にとっては生きることにつながるはずだ。いのちを育てた者が、そのいのちを食うことによって「生きる」ことを知るとき、死生観は深化し成長につながる。だが、食われる者が主人公になるとき、それは構造的にはどこか牧歌的なハッピーエンドになるだろう。子どもたちは、弱者である豚やクモに自分を重ね、ここちよい読後感を得る。愛情に満ちた『シャーロット』は、弱者の犠牲に成り立ついのちの問題に対して、直接の回答を避け、生命の連環という別の形を示すことで児童文学になったのである。(鈴木宏枝
           
         
         
         
         
         
         
     

『ユリイカ』1997年9月号