シャーロットのおくりもの

E・B・ホワイト:作
鈴木哲子:訳 法政大学出版局 1952/1973

           
         
         
         
         
         
         
     
 アメリカ産のファンタジー作品を思い浮かべてみると、古くは『オズの魔法使い』(一九〇〇)、新しいところで『タランと角の王』(「プリディン物語」第一巻、一九六四)『影との戦い』(「ゲド戦記」第一巻、一九六八)などの「別世界」ファンタジーがあがってくる。いずれもアメリカという国の文化風土と強いつながりを指摘することができるが、『シャーロットのおくりもの』(一九五二)となると、数少ないアメリカのファンタジー作品のなかで、もっともアメリカらしい作品といえる。
 作者E・B・ホワイトは、メイン州の農場に住んでおり、『ちびっこスチュアート』(一九四五)も『白鳥のトランペット』(一九七〇)もそこで書かれた。『シャーロットのおくりもの』の着想をどのように得たかについて、ホワイトは次のように語っている。
  私は動物が好きなので、いついっても、動物のいる小屋は、とても楽しいところです。ある日、豚にえさをやりにいく途中で、豚が気の毒に思いました。他の豚と同じように、その豚も死ぬように運命づけられているからです。悲しくなって、豚の命を救う方法を考え始めました。大きい灰色くもが働いているのを見ていて、とても手際よく巣を張っていくのに感銘をうけたことがあります。徐々にそのくもを物語 −農場における友情と救いの物語− に入れていきました。書き出して三年後、その物語は出版されました。
 殺される宿命にある豚を救済するために作られた『シャーロットのおくりもの』は、父親が生まれたばかりの豚のなかに、とても育たない赤ん坊がいるので、斧をもって殺しにいく場面からはじまる。八歳の娘、ファーンは、小さいから殺されるということに激しく抗議し、牛乳でその豚を育てることになる。豚はウィルバーと名付けられ、ファーンが世話をする。ウィルバーは、どこにいくにもファーンについていき平和に順調に成長し、五週間たち、ザッカーマンさんに売られる。馬や牛、羊、がちょうとともにウィルバーは、新しい小屋で生活をし、ファーンが会いにきてくれるのを楽しみにしている。ファーンの来ない日、さびしくなって友だちを求めているウィルバーに天井から声がかかり、灰色クモのシャーロットと知り合いになる。初夏になり、「どこを見ても、生きているものばかりです。」(51P)という美しく楽しい季節がすぎ、羊から自分が銃で殺されることを知らされる。悲しむウィルバーにシャーロットは、ネズミのテンプルトンに文字を見つけてきてもらい、クモの巣で「たいしたぶた」と書いてくれる。次に「すごいぶた」が出、奇蹟だと評判になる。ザッカーマンさんは、市 につれていき、「けんそんなぶた」という第三の奇蹟のため表彰される。しかし、そこでシャーロットの命がつき、あとに卵の入ったふくろが残される。ウィルバーは、そのふくろを農場に持って帰り、五一四個の卵がかえる。
 以上のあらすじでも了解できるように、この作品の中心テーマは、「死」である。人は動物の命をもらって生きているという事実を、主人公ウィルバーを殺すことを巧みに回避しつつ明るく語っていく。この明るさに、『シャーロットのおくりもの』が児童文学作品のなかでも、多くの読者が支持し、次の世代に手渡されていく理由が有している。
 物語のはじまりは、一つの家庭に設定され、女の子がペットとして豚を育てていく −つまり、その女の子の視点からストーリーが進められていっている。それが、五週間たつと、別の農場に、舞台が移動し、主人公だった女の子は、豚に会いにくる人物となり、家畜動物たちに視点が旨く移動していく。動物たちのにぎやかな暮らしぶりと、季節のうつりかわりが活写され、農場という一つの小さいけれども、まぎれもない一つの世界が、読者に丁度よい大きさで提示される。そこでは、人と家畜との関係、家畜のえさをあてにして生きているネズミ、えさによってくる虫を食して待っているクモなどの連鎖関係が明快に語られている。時の経過によって主人公であった女の子は、男の子の友だちに関心が移行していき、ウィルバーを奇蹟をおこして助けたシャーロットに視点がうつる。助けたあと、シャーロットは、「いく千人かの人が市へきましたが、一ぴきの灰色のクモが、だれよりも、いちばん、大事な役目をはたしたということを知っている者は、ひとりもありませんでした。彼女が死んだ時には、だれもそばにいませんでした。」(207P)と命を終える。ここでは、人間の死ぬべき運命に思い あたることになる。最終章で、友だちに恵まれた幸せなウィルバーとシャーロットの子どもたちとの交流が描かれ、生命の連続を肯定的にとらえたより広い視座が示される。
 ホワイトの文体は、簡潔で美しく、すっきりと頭に入ってくる。ユーモラスな場面でも、視覚だけでなく聴覚にも働きかけてくるため、作品のなかの楽しさ、にぎやかさが読者にも感じとれる。また、動物が語ったり、感情を吐露する点は別にして、あくまでも、家族や農場や家畜を、リアリズムの枠のなかで描いているため、アメリカのどこにでもある農場の、どこにでも起こりうる世界として読者に伝わっている。ごくありふれた情景を素材にした、非常にユニークな生命賛歌の物語である。(三宅興子
日本児童文学100選(偕成社)
テキストファイル化佐藤佳世