少年と黒魔女の淵

‘BB’作
神鳥統夫 訳 大日本図書 1974/1987

           
         
         
         
         
         
         
     
 作者のBBというペンネームは、野外を歩くときに使う銃の弾丸の大きさ(約5ミリ)からきており、BBの作品とカントリー・ライフ、特に狩猟や釣りは密接に結びついている。イギリスの児童文学の歴史をみていくと、ナチュラリスト(博物学者)と名付けてもいい作家の系譜を辿ることができる。『水の子』のキングズリー、『たのしい川べ』のグレーアム、『ツバメ号とアマゾン号』のランサムなどである。BBは、ラグビー校で美術を17年間教えたあと、故郷のノーザンプトンシャーに住み、文と絵を通して、カントリーのもつ魅力を伝える作家となった。それは、大人のためには主としてノンフィクションで、子どものためには、野生動物や小人がきびしい環境のなかでどのように生きのびていったかを語るフィクションという形をとった。
 『少年と黒魔女の淵』(1974)は、初期作品である。『ワイルド・ローン』(キツネ)『スカイ・ジプシー』(ワイルド・ギース)(1938,39)などの野生動物のサバイバルを語った系列ではなく、いわば「休暇物語」というレッテルで分類できる作品として、BBの作品のなかでは特異なものである。休暇物語とは、子どもが休暇中に体験する冒険の物語で、「ホリデー・ロマンス」ともよばれる。アフリカが未知の大陸ではなくなり、アマゾンの奥地にも人が入り、宇宙への冒険は個人の手から離れていき、生命をかける冒険が消失した現代においても、冒険したいという人々の欲求は脈々と続いている。それに応えるのが、休暇という期限つきの冒険であり、冒険ごっこや、スポーツに変質した冒険となった。『少年と黒魔女の淵』は、ティモシーという「あと2日で12歳」になると紹介されている男の子の、両親とキャンプ用トレーラーで訪れた二週間の夏休み休暇での魚釣り体験の物語である。
 ティモシーの住んでいるイングランド中部の都市でも釣りはでき、ティモシーは、「釣りキチ」とよばれていたが、一家がやってきた海に近い農場を拠点とした川や淵での釣りは、全く違ったものであった。物語は、ティモシーが橋に立って川のマスをみつめている場面からはじまる。
 鉄のてすりに両手をのせ、その上にあごをのせて立っていると、あたりにたちこめるかすかな蜂蜜のようなにおいを感じます。それはミツガシワのすてきなにおいです。(6〜7P)
 加えてヤチヤナギのにおい、ダイシャクシギやツメナガセキレイ、カワガラスなどの実物が目の前をすぎる。次の日は海へ。「日はさんさんと輝き、いたるところ幸福がみなぎっているようです!」(18P)と父や母にとっても、どれほど待ちこがれていた夏休みだったかが語られる。
 マスを釣りにでかけるがティモシーの釣り竿と釣り道具ではうまくいかない。川下に歩いていっているとき、出会った男の人がどのように釣るかを教えてくれる。翌朝五時に起き淵にいくとその男の人ウィリーさんがサケをかぎ竿で密漁したのを見てしまう。口止めされ、釣り竿をかしてくれる。ウィリーさんが手ほどきしてくれ、秘密の淵で深夜の釣りをすることになる。伝説の「黒魔女の淵」に案内され、魚が動き出すまでくらやみのなかでじっと待つ。ツチボタルが光り、木々のにおいがむんむんするなかでやっと釣りがはじまる。毛鉤が対岸で釣っている人にひっかかったり、コウモリを釣ったり、竿をふんでおったり、ウィリーさんの釣った魚を逃がしたりと失敗が続く。もう一度竿をかりると大きいサケがかかったもののテグスがほどけて逃げられてしまう。この一夜の釣り体験は、巨大な魚との闘いに敗北したところで閉じる。
 がっかりした息子を見て、誕生日の祝いに、親が日本製のグラスファイバーの竿をかってくれる。農場の人から、願をかけるときくという「魚岩」を教えてもらい、大きい魚が釣れるように祈る。その直後、淵で逃がしたサケがいるのをみつけ、ウィリーさんのはりすと自分の竿のみち糸をつなぎ、魚との決闘がはじまる。魚は走りつづけ、ティモシーもそれとともに走るが、気付くと、先夜の嵐の影響で水かさがましている。やっとの思いでサケを網に入れたものの釣り竿は流され、つかまった石の間に足がはさまり動けなくなる。「川の水が頭の上まであがったって、ぼくは魚をはなさないぞ!」(138P)と必死で石につかまっていると、ウィリーさんがみつけてくれる。
 魚釣りを通じてBBが表現しているのは、自然がみせる奥深い魅力、恐さ、美しさである。ウィリーさんが、息子が魚釣りに興味を示さなかったのでといってたまたま出会った釣りキチの男の子に自分のもっている知識のすべてを伝授する姿に、ナチュラリストの脈々と続く流れ、大人の役割といったものが読みとれる。
 1ページ大のさし絵が11、各章の頭に入っているカットが12、画家でもある作者は、文と同じように画に力を入れている。厚紙に粘土を塗りインクの膜をかぶせ鉄のみでひっかいて下の白地を出すというスクラッチボードという技法で描かれた黒を基調とする森・川・人の絵は、自然の驚異まで表出しており、物語と一体化している。この作品の忘れがたい手ごたえは、さし絵によるイメージの喚起力にもよっているといえる。自然のなかに入ることを強くうながす作品でもある。
三宅興子