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今回登場願うのは、セーラ・クルー。一九世紀後半、本国イギリスの寄宿舎学校で学ばせようと、父親に連れられてインドからロンドンやってきた七歳の女の子。彼女はずっと、お金持ちの父親と共に召使いに囲まれて暮らしてきました。と述べたからといって、お金持ちの傲慢な女の子だといいたいわけではありません。そうではなく、生まれついてから彼女はクルー大尉の娘として丁重に遇されてきた、言葉を変えれば子どもだからといってただそれだけの理由で大人から抑圧を掛けられなかったということを指摘しておきたいのです。しかも、母親は幼い頃亡くなっており、それ故父親はセーラを「小さなおくさま」と呼んでいます。物語の語り手はそれを父親の冗談だと述べるのですが、ストーリーはその指摘を裏切って、彼女がまさしく「小さなおくさま」として振る舞う女の子であることを繰り返し描きます。つまり彼女は父親からも単に娘としてだけでなく、亡き妻の代わりを要請されてきた、少なくともセーラ自身はそう理解していた、自分のアイデンティティをそこに見いだしていたと考えるのが妥当です。だから一四歳のお手伝いベッキィにも「『こわがらなくてもいいのよ』と、セ ーラは、自分と同じくらいの小さい子にいうように」声を掛けるのです。 しかし、それでも彼女はやはり子どもです、あくまで「小さな」おくさまなのです。セーラはそこを空想で埋めます。父親に人形を買ってもらうとき、彼女は予め空想の中で作り上げておいた娘、エミリーを探すのです。「エミリーがいたわ!」。「あの子は、たしかに、あたしたちがくるのを待っていたのよ! はやくいってやりましょうよ」。 この、幼い頃からはっきりと自分の世界観を持って生きている女の子は、子どもをただ子どもとして扱い、仕付ればいいと考えているミンチン先生にとって苦手な存在です。だから、父親が死んだセーラにつらく当たるのも、彼女が貧乏になったからではありません。「子どもらしく」ないセーラをミンチンは恐れているし、憎んでもいたからです。しかしそんな仕打ちの日々でもセーラは友人にこう言います。「なんだっておはなしなの。あなたもおはなし、あたしもおはなしよ。ミンチン先生もやっぱりおはなしなの」。ラスト近くのとどめは「先生はわたくしがおきらいなんですのよ。でも、それは、わたくしがわるいせいかもしれませんわ。だって、わたくしも、先生がきらいなんですもの」。 ミンチン先生に勝ち目はありません。(ひこ・田中)
徳間書店 子どもの本だより 1999,1/2
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