少年ブーム

串間努 晶文社 03.2

           
         
         
         
         
         
         
    

テレビの本放送が始った一九五〇年代中頃から、高度経済成長期に入り東京オリンピックや大阪万博と国家的な大イベントが続いた頃は、様々な子ども商品が誕生し、それらが大衆化していく時代でもあった。この時期に登場したモノやキャラクターを、精巧な造形力で定評のある海洋堂がフィギュア化し、それをおまけにつけたお菓子、「タイムスリップグリコ」が大ヒットしている。現在、第三弾まで発売されていて、いずれも子どもというよりも当時子どもだった中高年齢層に好評だ。
戦後の荒廃と食糧難からようやく脱して、消費化社会に突入するとともに、情報化の波が押し寄せてきたこの時期、それを子ども時代に体験した世代にとっては、じつに夢の多いエキサイティングな時間だったのだろう。経済的にも停滞し、行く先が見えにくい今日だからこそ、輝かしかったあの時代への思いや懐かしさが対照的に蘇ってくるのかもしれない。「タイムスリップグリコ」の人気に象徴される、昭和三〇年代文化に対する昨今の回顧的なブームの底流には、そういった大衆心理が色濃く反映しているように思える。
この本もまた、戦後の子どもたちを魅了し流行した様々な"ブーム"をつぶさにたどり、それを多面的に検証して見せる。しかしそれは、単なる懐かしさのカタログ的な羅列ではない。「昭和レトロ」をテーマに、B級文化を深く探索してきた著者ならではの労作であり、誰もが俯瞰することができないでいた、戦後の大衆的子ども文化史の暗部を照射する画期的な著作でもあるのだ。
全体は五章から構成され、第一章は「ヒーローブームの系譜」。敗戦直後からの野球ブームや、「笛吹童子」から「赤胴鈴之助」と続く時代劇ブーム。そこに著者は、占領軍による巧みな文化政策とその変容の影を見逃さない。「栃若時代」がピークの相撲ブームから、力道山登場によるプロレスブーム。西部劇とガンブームの後に戦記ブームがきて、忍者や怪獣ブームに変転し、「サンダーバード」などの宇宙SFブームを経て七〇年代からの変身ブームへ。ヒーローの変遷は社会状況と密接に関わっているとともに、敗戦直後のベビーブームによる団塊の世代が子どもマーケットを形成し、テレビ草創期の子ども番組を下支えしてブームを作り出したと著者は見る。
第二章は、「風俗・文化・ホビーブーム」で、熱帯魚から始り、SL、スマイルマーク、レース鳩などから、インベーダーゲームや釣りや「なめねこ」などまで幅広く分析する。第三章は、カード、ワッペン、シール、切手などの「コレクションブーム」について。ここでは、紅梅キャラメルの野球カードから、カバヤ文庫、アトムシールやビックリマンシール、酒蓋、牛乳蓋コレクションまで取り上げられる。第四章は、ミニカー、レーシング、スーパーカー、ラジコン、チョロQなど、「子ども世界の車ブーム」。第五章は、ホッピング、フラフープ、ダッコちゃん、ガチャガチャ、ゲイラカイト、スライム、キンケシなど「ブーム玩具の変遷」。何れの章も、著者の子ども体験と重ねながら、メーカーへの取材や豊富な資料を駆使して、それぞれのブームの子どもとの関わりはもちろん、商品を送り出す側の論理や、大人の批判や思惑までも鮮やかに炙り出してみせる。
著者は「ブームはだれがつくったのか?」として、子ども社会でのブーム発生のメカニズムとその伝播のプロセスを分析し、七〇年代までと九〇年代以降の違いに言及する。高度情報化社会にともなうメディアとのリンケージや、消費化社会の特性がブームに深く関わってくるのは当然だが、それに重ねて「絶対に買ってもらえない子」がいたのと、それがいなくなったという親の著しい経済格差の漸減からブーム現象の変容を読み取るあたりはなかなかユニークである。そしてまた、八〇年代までのブームは、送り手が構想した世界観を消費するものだったが、ビックリマンシール以降は、「大人(メーカー)はすでに世界が完成したモノは提供しない。あるいは改造する余地があるものを送り出すという姿勢になった」と著者は言う。大塚英志の『物語消費論』とも重なるものだが、これによってユーザーが自在に世界観を構築したりチューンナップできるから、ブームを長続きさせることに成功したとも述べている。
ともあれ、よくぞここまでと思わせるほど、取り上げたブームの広さには感心させられる。この本が扱った時代の前半を子ども時代に実際に体験し、後半を送り手として関わった筆者にしても、ここからこぼれたものを探すのは容易ではない。まさに、驚愕すべき戦後大衆子ども文化史の誕生である。(『図書新聞』)(野上 暁)