|
辻邦生氏だったとおもうが、読書について、こんなことをいっていたように記憶している。今、仕事として本を読んでいるが、晩年になったら、あの少年の頃のように、寝床にもぐりこんで就寝前の小一時間を、自分の楽しみとする本を読みたい。そのときこそ、自分は読書の愉しみをとりもどすことができるだろう、と。 読書の醍醐味は、やはり氏のいうようなところにあるようで、私自身も子どもの頃、布団をかぶり、懐中電灯の明かりをたよりに読んだ『ロビンソン・クルーソー』の味が忘れがたいのである。 ときどき、「わたしは小説は読まんのです。せいぜいが歴史小説ですな」と、小説や物語はフィクションだから、役に立たないと真顔で語っている社長のインタビューを眼にすることがある。この世の中に存在する無数の事実と真実のうちの半分にしか敬意をはらわないオヤジには、いまさら教えてやらないけれど、物語って面白いし、読むと「脳内モルヒネ」もいっぱいでるんだよ。 そんな、物語を嗜好するもと少年にはありがたい翻訳出版が、ここしばらく続いているので、紹介していきたい。 たとえば、ジュール・べルヌ。『海底二万マィル』『ニ年間の休暇』『十五少年漂流記』などで、すでにもう卒業してしまっている作家かというと、これまでの翻訳は、まだまだ氷山の一角で、いまだに未紹介の名作、佳作、もちろん駄作もたくさん残されているという事実をご存じか。案外、作家の全貌が一般には知られていないことが多く、あのアンデルセンだって、童話のほかに山のような大人の小説散文を残しているし、カレル・チャぺックだって、最近ようやく著作集が翻訳されるようになって、彼の愛すべき人柄や業績が、山椒魚のぬめぬめとしたイメーシや、ロボットのメタルカラーに加わって、いっそう奥深い読書体験をさせてくれるようになった。 そういう、再発見や再評価は、翻訳家の努力と、出版社の努力と、読者の支持がなければなりたたないものであるが、翻訳家として、昨年十二月に急逝された榊原晃三氏などは、新しもの好きの日本の翻訳家のなかにあって、古くても、良いものは、進んで時代にあった意匠とともに翻訳すべきだとの信念をもっていたようである。 ジュール・ヴェルヌの『ラ・ぺルーズの大航海』(榊原晃三訳、NTT出版)が、訳者の最後の翻訳として出た。ヴェルヌのめっぽう面白い海洋作品が未翻訳のまま、宝のように埋もれているという話は、フランス文学の友人たちからもよくきかされていたし、自分でもヴェルヌの捕鯨船を描いた『ジャン=マリー・カビトゥランの物語』を読みたくてたまらず、しまった、フランス語をやっておくんだったと密かに後悔したこともある。 ラ・ぺルーズは、十八世紀のフランスの実在した海洋冒険家・探検者で、数々の探検ののち、オセアニアで行方不明になっている。ぺルーズの航海は、日本近海にまでおよび、記録のなかに与那国島、能登、宗谷海峡まで登場する。NTT出版の「気球の本」シリーズの新書版で、たいへん手にとりやすい逸品である。 おなじく、オールドファンには懐かしい映画『さすらいの青春』のアラン・フルニエの原作が上下本でパロル舎から出た。むしろ映画を観ていない、若い世代の読者にすすめたい本だ。これも榊原晃三氏の最後の翻訳作品で、以上二冊の出来を見ずして、ときに剛碗ともいうべき筆さばきをみせてくれた希代の翻訳家は伝説の人になってしまった。氏の訳業にお世話になった読者の一人として、感謝の言葉を捧げ、ご冥福を祈りたいと思う。 あまりしめっぽくなってもいけないが、以上のような観点で、注目しいる翻訳がまだまだある。ヴェルヌの『地軸変更計画』とH・G・ウェルズの本邦初訳をあつめた『イカロスになりそこねた男』(ジャストシステム)の二作。昨年五月、渋谷のABC(青山ブックセンター)で、発見したときは、思わず興奮して財布のなかみとも相談せずにレジに走り、結局カード払いとなった。本は高いか安いかという議論があるけれど、翻訳なんかの場合は、ぜったーいに安い!のである。 さらに、おすすめは彩流社のマーク・トゥエイン・コレクションのシリーズで、私は『地中海遊覧記』の訳者のひとり、吉岡栄一氏が友人なので、献本の光栄によくし、本シリースを愛読している。 さて、これらの版元をよくみると、やはり大手ではなくて、意地とセンスと、著者・訳者(むろん編集者も下請け印刷製本屋さんも、ついでに社長も)のがんばりによって出版文化をになっている心意気のある出版社だなと思う。それに、ジャストシステムみたいに、既成観念にこだわらずに「面白いものにセンスを発揮できる」新興勢力も加わっているということも特徴的だ。 今回は本の紹介ばかりで、清く正しい書評になっていないのは恐縮だけれど、好きな本については、どうしてもそうなってしまう。出版しただけで偉い!と、こうなってしまうのだ。 最後に、これも友人のひとりで、献呈してくださった子どもの本を、ひさびさに紹介したい。戸田和代さんの『キツネの電話ボックス』(金の星社)だ。幼年童話で、オジサンなんかの眼にはあまりふれないジャンルではあるけれど、ひさびさに素敵な幼年童話を読ませてもらった。物語は子ギツネに死なれた母キツネのせつない気持ちが人間の子どもの出現でいやされるという「死ぬこと」をあつかったものである。わたしの大好きな絵本、スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』を思い出しながら読んだ。六歳になる娘に読ませたら、「子ギツネがすぐに死んじゃうんでムナシイヨー」と、子どもは子どもの立場で感想をのべていたが、なるほどそういうものである。いつもいうことだけれど、子どもの本を読んで、ひどく心を動かされるのは、むしろいろいろ経験してきた大人のわたしたちのほうであって、「大人たちに必要な子どもの本」という考え方もありうるのではないかと思う。子どもの本は、けっして幼稚なものではない。 |
|