ザ・ギバー 記憶を伝える者

ロイス・ローリー

掛川恭子訳 講談社 1995

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 パンドラの箱が開く前の状態にもどったら、この世にうずまく悪や欲望、苦痛や悲しみなどがなくなったら、人間はどんなに幸せだろうか? を追及した近未来ファンタジー。
 ジョーナスの暮らすコミュニティーは、全ては長老会が管理し、不適格者は「リリース」され住民には平和と万全の世話が保証されている。家族ユニットは夫婦と男女ひとりずつの二人の子どもの四人で構成され、夕食後には一日の出来事を話し合い問題があれば皆で考えて解決する。子どもたちは年齢に応じて到達段階が決められている。一歳で名前がつけられ、八歳になるとボランティアの時間が始まり、十二歳で将来の職業が決められる。ジョーナスの父親は「養育係り」で、母親は法律家で、七歳の妹がいる。ジョーナスは職業任命で、コミュニティーで最高の名誉である「記憶を受けつぐ者」とされる。 職業訓練が始まり、ジョーナスは「記憶を伝える者」から、雪、日差し、色、戦争など、コミュニティーが排除した人間のあらゆる過去の記憶を受けついでいく。ここまでくると、最初、家族団欒など我々の日常とあまり変わらないと思えていた社会の異常性がすっかり明らかになる。動物は縫いぐるみの象や熊しかいず、子どもは「出産母」が産み、色もなく、愛もわからず、飢餓も戦争も知らない。
 ジョーナスと「記憶を伝える者」は理想社会と考えられていたコミュニティーの落とし穴に気付き、真の人間の生き方を取り戻すべく、記憶の再生を計ろうとする。ジョーナスはリリースされそうになっていたゲイブリエルを背負い、コミュニティーを脱走し「いずこ」へ向かう。
 人間の尊厳のキーワードはコミュニティーでは死語になっている「愛」である。ジョーナスに伝えられた、赤い火が燃え、祖父母から孫までがいるクリスマスとおぼしき光景のなんと楽しく温かいことか。
 ロイス・ローリーはアメリカの作家で本書と『ふたりの星』で二度ニューベリー賞を受賞している。ローリーは本書を書くヒントとして十一歳から十三歳まで駐留軍家族として占領下の日本で過ごした体験(二つの異文化の社会)をあげているが、同様に第二次世界大戦のホロコーストを扱った『ふたりの星』も過去の記憶として本書のヒントのひとつだと言っている。(森恵子)
図書新聞1995年12月9日