石井直人

断片、脱線、混在郷

パロル8号1997/12/25


           
         
         
         
         
         
         
     
1 「子どもと文学」

 一九六○年の『子どもと文学』。石井桃子、いぬいとみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松居直、渡辺茂男の六人によって書かれたこの一冊は、三十数年がたった今日、ますます重要性を増しているように見える。本誌の特集も一例であるとおり、わたしたちは、児童文学の将来に「ぼんやりした不安」を感じている。こういうときにひもとけば、『子どもと文学』は、なんと力強いことか。たとえば、もっともよく知られた序文の言葉。
 「世界の児童文学のなかで、日本の児童文学は、まったく独特、異質なものです。世界的な児童文学の規準-子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすくということは、ここでは通用しません。また、日本の児童文学批評も、印象的、感覚的、抽象的で、なかなか理解しにくいものです。/こうした状態にある、明治のすえから現在までの、つまり、近代日本児童文学とよばれるものが、はたして今日の子どもにどう受けとられているだろうか、また、子どもを育てる上に適当なものだろうかということは、いつもこのグループのあいだで話題にのぽっていました(…)」
 ここには、わたしたちが問うことを忘れている大主題が並んでいる。「世界的な児童文学の規準」の存在を考えること、「印象的、感覚的、抽象的」ではない批評を生み出すこと、「明治のすえから現在まで」の「近代日本児童文学」を全体として把握しょうとすること、「子どもにどう受けとられているだろうか」という読者の立場を導入すること。そして、「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」という短い主張に、これらの大主題が凝縮されている。ぎゃくにいえば、一九六○年以後の児童文学史は、こうした大主題そのものが答えられないまま壊れていく時間だったともいえる。
 では、第二部の「子どもの文学とは?」は、どうだろう。たとえば、昔話をモデルにして子どもの文学のあるべきイメージを主張したくだり。
「昔話では、一口にいえば、モノレール(単軌条)を走る電車のように、一本の線の上を話の筋が運ばれていきます。大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふけるとか、つまり、一本のレールから話の筋がはずれて、あちらこちらをぶらりぶらりすることがありません。」
 たしかに昔話は、そうかもしれない。モノレールという比喩もよくわかる。けれども、わたしは、この第二部にあまり説得されない。単純にいってモノレールじゃなくたっていいんじゃないのと思ってしまうのである。児童文学の半身が児童であるようにもう一方の半身が文学であるのなら、回想形式は、文学にとって欠かせない技法のひとつだろう。
 この第二部への違和感は、見かけよりも根本的なことにかかわっている。というのも、わたしにとって、「子どもと文学」と「子どもの文学」という呼び方の違いは、根本的なことなのである。『子どもと文学』は、文字通り子ども「と」文学なのであって、子ども「の」文学ではない。『子どもと文学』の第一部は、小川未明、浜田広介、坪田譲治、宮沢賢治、千葉省三、新美南吉の六人を一人ずつとりあげて批評した作家論だった。すなわち、第一部は、従来の童話を徹底的に疑ったのである。子ども-童話の結びつきを、一度は子ども≠童話と切断したうえで、もう一度「子ども-文学」関係を構築しようとしたのである。『子どもと文学』は、童話という実体から子どもと文学という関係へと思考のポイントをずらせたのだ。だが、第二部は、具体的に「子どもの文学とは?」を説こうとして、実体に戻ってしまっている。
 おそらく、わたしたちが模倣すべきは、第一部なのである。従来の児童文学を徹底的に疑、そのうえで、子ども「と」文学の関係を結び直すことを試みるべきなのだ。このことによって、わたしたちは、児童文学という実体から子どもと文学という関係へと思考のポイントをずらすことができる。
 ああ、そうだ、児童文学という言葉を死語にしてしまえたなら! どんなにせいせいすることか。そうして、ただたんに子どもと、ただたんに文学との出会いだけを考えさえすればいいんだ。決して、児童文学にとって好ましい子どもではなく、児童文学にとって好ましい文学ではなく……。
 だが、いきなり児童文学の外に出られはしない。したがって、わたしは、脱出の準備作業として、児童文学の中にあって児童文学自身が居心地の悪さを感じるような場所をさがすことにしたい。題して、断片、脱線、混在郷。これは、『子どもと文学』の第一部に学びつつ、第二部にさからうものだ。なぜなら、断片、脱線、混在郷のいずれも、全然、モノレールじゃないから。

2 断片

 今日、断片というと、現代文学の方で、一九八九年に死んだアメリカの作家ドナルド・バーセルミを思い出すのが自然かもしれない。初期の『帰れ、カリガリ博士』や『口に出せない習慣、不自然な行為』などが「断片派」(フラグメンティスト)と呼ばれたからである。彼は、都市に散乱するガラクタのような断片を寄せ集めて作品をつくる。いわく、「断片だけがわたしの信頼する唯一の形式」だと。「屑、断片、汚物のコラージュ」こそが現代の人間の意識にふさわしいフォルムだというのである。
 が、わたしのいう断片は、バーセルミのような前衛の技法とはちがう。もう少し普通のことである。たとえば、宮沢賢治の「ガドルフの百合」。これこそ、作品が断片的であるためにいっそう読者の想像力をかきたててくれる例だと思う。わたしは、きっかけはわすれてしまったけれど、二十歳を過ぎてからの一時期、近所の図書館から『校本宮澤賢治全集』を惜りてきては、一日一個と決めて、眠りに就く前に布団の中で賢治童話を読んでいったことがある。そうするとたいへん奇妙な夢を見た。というよりも、賢治童話と入眠幻覚がわかちがたいような奇妙な状態で眠りに就くのだった。そうやって、わたしは、二、三ヵ月をかけて、校本全集に収録された童話を読み終えた。これは、至福の読書だった。そして、このとき初めて「サガレンと八月」や「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」などを読んだ。とりわけ「ガドルフの百合」の印象は、強烈だった。童話集『注文の多い料理店』の序文の言葉ではないけれど、実にわけがわからなかった!
「ハックニー馬のしっぽのやうな、巫山戯た楊の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いて居りました。/それにただ十六哩だといふ次の町が、まだ一向見えても来なければ、けはひもしませんでした。/(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊にその青いときは、まるで砒素をつかった下等の顔料のおもちゃぢゃないか。)/ガドルフはこんなことを考へながら、ぶりぶり憤って歩きました。」
 冒頭の数行である。さて、ガドルフとはいったい何者なのか。彼は、何処に「みじめな旅」をしてゆこうとしているのか。彼は、どうしてぶりぶり怒ったりしているのか。いっさい説明がない。また、後に彼が雨宿りをする(などという呑気な言葉はこの作品のすさまじい豪雨の描写に似合わないかもしれない)ところの建物は、何だったのだろう。まさに「(ここは何かの寄宿舎か。さうでなければ避病院か。)」だ。そして、なによりもガドルフがとつぜん雨中に立つ一群の白百合に恋するのは何故なのか。

「間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃めいて、庭は幻燈のやうに青く浮び、雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋って立ちました。/(おれの恋は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。)/それもほんの一瞬のこと、すぐに闇は青びかりを押し戻し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面までも屈んでゐました。」
 これらの問いの答えは、言葉の裏表をひっくりかえすように調べても、見つかるまい。にもかかわらず、この一編に満ちているイメージの肉質の圧倒的な魅惑は、どうしたことだろう。わたしたちは、いきなり「ガドルフの百合」と題されたフィクションの世界の真只中に居ることに気づかされる。おそらく、わたしたちが読んでいるのは、物語の連続した世界の一断面にすぎないのだ。このガドルフの旅する世界は、わたしたちがぺージを開く以前から、あるいは、語り手が文字を書き連ねはじめる以前から、ずっとつづいていたのにちがいない。そして、この短編の終わった後もずっとつづいているのにちがいない。「ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考へました。」語り手は、偶然この瞬間にふっと口を噤んだにすぎないとでもいうかのようだ。むろん、これらのわからなさの多くは、「ガドルフの百合」が草稿であって、「雪渡り」のように公表された、とりあえずの決定稿でさえないことから来ている。だから、断片的な性格は、偶然だともいえる。だが、偶然だったとしても、それに学んで意識的な技法にしてはならないという決まりもない。それに、賢治童話は、『注文の多い料理店』 にしても、山猫裁判だの、馬車別当だの、雪狼だの、なんだかわけのわからないのに事欠かない。わからないことをわからないままにうけとることこそ、宮沢賢治のイノセンスにふさわしい。もしも、賢治がガドルフの正体を明かしたり、旅のゆくえをくどくど説明したりしたならば、わたしたちは、ひどくがっかりするにちがいない。
 このことを天沢退二郎を借りて「エクリチュールの多義性」ということができる。
「多義性とは、その多「義」がすべて解読されることを必ずしも要求するわけではない。とくに、童話がほんらい子どものための文学である以上、子どもがそれらの「義」のすべてを解読することは求められないにちがいない。しかしそれらの未解読の「義」は逆に「義」ならざるものの不可思議の層となって、理解しうる第一「義」の周囲に光芒をもたらす。この光芒は、幼少年時代の感受性によっても確実にキャッチされる。これが真実のはじまりである。」(「童話のリアリティー」)
 注目しておきたいのは、子どもが読者だからこそ、すべての義(意味)がわからなくていいのだとしているところである。子どもが読者だから、わかりやすくなければならないという意見とまったく逆である。なぜなら、エクリチュールの多義性による光芒(アウラ)が魅惑の源泉だからだ。天沢退二郎自身の『闇の中のオレンジ』(筑摩書房一九七六年)は、たしかにそのような短編連作集だった。

3 脱線

 つぎに、脱線という言葉で考えるのは、たとえば、岩瀬成子『あたしをさがして』(理論社一九八七年)である。前節2でのべた断片の作品と同じように、この作品も、いきなりはじまって一気に世界の核心に入ってしまうのである。冒頭は、こんなである。
「海は銀色の盆のように、はるかかなたで光っていた。/眠っていたのかもしれなかった。だけど、いったいどのくらい。日は少しも傾いちゃいないし、窓の外の風景もさっきとまったく変わっちゃいない。/風が吹いた。窓に吊してある貝殻の風鈴が音をたてた。/勉強机の上の石ころに日が当たっていた。」
 だれかがうたた寝から目覚めたらしい。が、それがだれなのか、何歳くらいの何者なのかといったことは明かされないまま、「眠っていたのかもしれなかった」ときに見たのだろう夢の記述に移行してしまう。「いやな夢だった。血まみれの夢だったみたいな気がする。逃げても逃げても血濡れた口をあけた、牙のある動物が追いかけてきた」と。すなわち、これは、「あたし」という一人称によって、「あたし」の心象風景がくりひろげられるタイプの作品なのである。したがって、この語りは、いわば「あたし」次第であって、「あたし」の意識が向
けられた事柄だけが夢うつつの区別さえ明きらかにされず語られることになる。実は主人公が一人の女の子で、主人公が同時に語り手だと、はっきりわかるのは、いくつかの場面をへてからである。
 問題は、場面と場面のつなぎである。つなぎがないのである。「牙のある動物」に追われ、「合成樹脂の迷路」から「塔の小部屋」へと逃げ、「窓」から救いを求めた「へリコプター」に逆に銃撃されるという悪夢のような場面が数ぺージにわたってつづいたと思うと、ふっと、つなぎなしに話題が変わるのである。

「あのへリコプター、どうしたら射つのをやめてくれるんだろう。あたしはやっぱり話し合いたい、と思った。心の底から話し合えば、あたしが無実であることがわかってもらえるような気がしていた。あたしは密告なんてしてないもの。そんなことをするのは汚らしいことだもの。あの場合、もしあたしが先生に訳を話しに行かなかったら、きっと、あきらくんやよっちゃんやあゆみちゃんやゆきちゃんたちはあたしが窓から飛び下りるまで許してはくれなかっただろう。」
 話題は、もう「みかちゃんのポケットに毛虫を入れた」のはだれかということに切り換わっている。一瞬、あれっと思うけれど、この切り換えのスリルがいいのである。むろんのこと、『あたしをさがして』は長編だから、すべての叙述にわたって「接続詞のない世界」なのではない。が、わたしは、この語り方こそ小説のものだと思う。長編小説を定義して「言葉の独走による衝突を数多く体験することで終りそびれるしかない物語」だとしたのは、『小説から遠く離れて』の蓮責重彦であるけれど、脱線をくりかえして終わりそびれることが小説の技法だと思うのである。
 わたしは、かつて、『あたしをさがして』の語りの特徴を「自由連想」のようだといった(『日本児童文学』一九八九年三月号)。また、『暗室』や『湿った空乾いた空』の吉行淳之介が試みた「横道また横道」の方法と似ているともいった。あるいは、後藤明生の『夢かたり』の技法と比較して考えてもいいかもしれない。接続詞をなくすこと、場面と場面のつながりをなくすこと。これをゆるすことによって、わたしたちは、物語の決まり切った完結性から少しでも自由になれるのではあるまいか。

4 混在郷

 混在郷の見本といえば、わたしは、谷川俊太郎とタイガー立石による絵本『ままです すきです すてきです』(福音館書店一九八六年)をあげたい。もう一冊の斉藤栄美と岡本順による絵本『ふしぎなおるすばん』(ポプラ社一九九一年)と比較するとよくわかると思う。いずれも、「しりとり」の絵本である。(この二冊を教えてくれたのは、研究者の宮川健郎とその家族である。)
『ふしぎなおるすばん』では、ひでくんという男の子は、おかあさんがおでかけをすることになって、留守番をすることになった。心細さを紛らわそうと二人でしりとりをして遊ぶことにした。ところが、リンゴというとリンコが椅子の下から転がり出てくる。ゴリラというとコリラがぬっと現われて、リンゴを食べてしまった。今度はゴリラがしりとりの番でラクダというと椅子がラクダの背中になっていた。この調子でシロクマやマントヒヒの親子まで登場するけれども、マントヒヒがヒデオといい、ひでくんことヒデオがオカアサンといってしまってしりとりの負けに気づいたとたん、本物のおかあさんが「ただいま」と帰ってくる。すると、動物は、だあれもいない……。明るい感じのお話である。たぶん、マンションらしい部屋に住む、若い母親と子どもの生活は、帰ってきた母親がケーキの箱を手にしているところなど、読者の生活風景とほとんど同じだろう。いわば、読者のこちら側と絵本のあちら側が同じ遠近法になっているのだ。
 これは、読者が作品に同化しやすいといえる。が、反対に、ここには猛烈な異化はないともいえる。この猛烈な異化こそ、『ままです すきです すてきです』の性格である。冒頭、虎模様のパンツをはいた鬼とおぼしき男の子がドアのチャイムを鳴らしているところからはじまる。以下、たぬき、きっね、ねこ、こあら……という普通のしりとりの言葉が並ぶ。ところがどっこい、タイガー立石は、しりとりの言葉の並列を絵画のコラージュのように利用した。考えてみれば、しりとりは、音のつながりであって、意味のつながりではない。同じ音をつなげることで、本来はルーツがちがうために日常生活では同居しないはずの物を強引にコンバインしてしまう技法である。したがって、この絵本にはこの画面上以外では絶対に並列されないだろう物体が平然と雑居しているのである。「ごじら、らっぱ、ぱんつ、つなひき、きのこ、こども」という画面では、黄色のパンツをはいたゴジラが、白い茸の一群と赤い茸の一群が綱引きの勝負をはじめる合図? のラッパを吹いている。そのまわりを人間の子どもや子鬼や蛙や猿がとりまいているといった具合である。なんとなく見ていて具合の悪くなってしま う人もいるかもしれないくらい、強烈な印象である。だが、これは、『ままです すきです すてきです』という絵本の外ではありえない混在郷なのである。この理想郷ならぬ混在郷に大笑いできれば、しめたものである。
 断片、脱線、混在郷、これらはいずれも、モノレールの比喩で表わされる単線的な物語からこぼれてしまう空白のようなものである。たとえば、『闇の中のオレンジ』『あたしをさがして』『ままです すきです すてきです』。これらは、児童文学の中にあって、児童文学らしくない場所である。さあ、ここを挺子にして、別の児童文学を構想せよ。そのように、わたしは、わたし自身に命じたい。
パロル8号1997/12/25