台所の戦士たち

ジョーン・エイキン

大橋善恵訳 ほるぷ出版 1988

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 ある家庭の食器棚の中に妖精の町がある。その町は、積み上げられた食器類のかげにあり、昼間の明るさの中では、ごく視力のいい人を除いてほとんどの人間には見えない。しかし妖精の町は、夜になると輝いている。なぜなら暗いときが、妖精達の活動時間なのだ。この物語は、その妖精の町に最近帰ってきた妖精の王子が、持ち前の知恵と勇気と親切さで、他の台所の住人達ー水の精、赤外線の龍、電気掃除機の魔女、運命の女神、そして家で飼われている犬と猫などーと様々に関わりながら繰り広げる冒険を、五篇の短篇で綴った楽しい連作ファンタジーである。
 第一話「コリアンダー王子のお帰り」は、妖精の王様がも何千年もの間、王室に受け継がれてきた大切な王冠をなくして大騒ぎをしている所へ、王子と名のる青年が現れる。その青年は、三歳の時から修行のため町に出されていたが、成人したので帰ってきたのだと言う。王様はその青年が本物の王子であることを証明するために、なくなった王冠を捜し出すように、と青年に命ずる。青年は苦労の末、やっと王冠をみつけ持ち帰るが、それは王様が探していた王冠ではなく、千年も前になくなった大昔の王冠であった。
 第二話「猫のミスティグリス」は、王子の帰還を祝して開かれた王室妖精競技会の席上、競技に勝ち、お酒も入って、多少陽気になった二人の妖精の青年が自慢話を始めた。その際、一人が、もしここに猫が入ってきたら、ティー・クロスを使って、起重機でするように、猫を床から持ち上げ宙吊りにしてみせる、と見栄をはる。その言葉が王様の耳に止まり、また丁度その時、部屋に猫が入ってきたため、彼らはそれを実行せざるを得なくなる。リアンダー王子は、自分の帰還を祝う会で、このようなことになっていまったことに心を痛め、彼らを助ける。
 第三話「ニクシーの救出」は、第一話で王子が王冠を探しに行く際に、有益な助言と援助を与えてくれた親切な水の精ニクシー姉妹の末の妹を、今度は王子が、冷蔵庫の大男から救い出す話。
 第四話「かまどの龍」は、ニクシーの娘と結婚したいと言いだした王子に、王様は、それなら王位は譲れぬと言い、王位継承者決定のための競技大会を開く。参加者は王子のほか、王子の従兄二人であった。競技は三種目あり、一つ目は、三人が三様の仕事を与えられ、誰が一番早く、一番うまく、それをやり遂げられるかを競うこと。二つ目は、かけっこ。三つ目は、何かすばらしい思いつきを提案することであった。王子は、最初の競技で、地下貯蔵室へ行き、かまどの龍をやっつけて、銀のりんごを持ち帰るという命がけの仕事を命じられる。
 最後の「ケルピーの鉢」は、第四話の競技大会の第三種目「すばらしい思いつきを提案することーで、なくなった母の指輪を皿洗い機の中から捜し出すことを提案した王子が、意地悪で凶悪で恐ろしい怪物の水の精ケルピー達が住む皿洗い機の中から、勇敢にも、彼らの宝物の鉢を壊し、そのまん中にあった母の指輪を持ち帰る話。
 食器棚の中や台所の隅などという、我々が普段何気なく見過ごしている日常生活の場に、われわれの肉眼では見えにくい生き物が存在する、というと、私などはすぐにメアリー・ノートンの『床下の小人たち』(一九五二)を思い浮かべでしまう。しかし、この作品に登場する妖精達は、ノートンが描き出した小人たちとは本質的に違う。後者は、ひたすら人間から隠れながらも、人間に依存し゛借り暮らし゛をしていた。ところが前者は、人間とはいっさい関わりを持っていない。というよりは、この作品にはまったく人間が登場しない。と言う方が正しい。それほどこの作品は妖精独自の世界を描いた作品なのだ。しかしそれでは、人間と一切関わりを持たない彼らは、どうやって生計をたてているのか、何を食べて生きているのか。これらの問いに、この作品は明確な答えを用意してはいない。そういう意味で、この作品は、リアリティに欠けるとか、細部の詰めが甘いとか評されるかもしれない。しかしそういう問い自体が、妖精の存在を疑い、彼らから魔力を奪ったリアリズム優勢の文学風潮から発せられているのではあるまいか。この作品はむしろ、そのような矛盾を、矛盾と感じさせずに読者に読 ませてしまうフェアリー・テールの世界に近い。使われている題材は、ガス・バーナーの龍や電気掃除機の魔女など近代的ではあるが、作品全体の持つ雰囲気は、多少なりとも魔力を持つ妖精が登場する昔ながらのおとぎの世界なのだ。(南部英子
図書新聞1988/06/23
テキストファイル化 妹尾良子