台所のマリアさま

ルーマー・ゴッデン作
猪熊葉子訳 評論社

           
         
         
         
         
         
         
    
 昨年、ロンドンの地下鉄のホーで、大きな美しいロシア・イコン展のポスターを見ました。その瞬間、私はこのルーマー・ゴッデンの物語を思い出したのです。
イコンはビザンティン様式の聖画像で、キリストや聖人、聖母子などが描かれ、美術史的にも重要なものですが、古くから東方教会で礼拝の対象とされてきました。偶像にはちがいありませんが、素朴な人びとにとって、「神聖なも
のに対して開かれた窓」の役割を果たしてきたものです。
 九歳の少年グレゴリーの家に住みこむようになったお手伝いさんのマルタは、初老のウクライナ人。故郷を追われ、ロンドンにやってきて、子どもたちを暖かく世話しながらも、寂しい影を漂わせています。グレゴリーは部屋に閉じこもりがちで、外界になかなか適応できない内向的な子どもですが、マルタの悲しみをそのまま感じることができます。いわば二人は年齢や民族を超えた「同類」でした。
 マルタはいつもいる台所に「いい場所」がない、と訴えます。それが聖母子像の場所であることを察知したグレゴリーは、マルタにないしょでイコン探しに取りかかりました。博物館や美術商、教会などに出かけたあげく、とうとう自分でイコンを作ることに決めます。七歳の妹ジャネットの助けを借り、細心の注意をはらい、苦労して飾りのレースや縁取りのキャンデーの包装紙を手に入れ……、子どもらしい創意に満ちた最高の聖母子像が飾られた「いい場所」
を見た時、マルタは棒立ちになり、感謝と賛美の祈りを朗唱するのでした。そしてこの体験はまた、グレゴリーの心を外に向けて開かせたのです。
映画化された『黒水仙』や児童文学の名作『人形の家』の原作者でもあるゴッデンの、印象的な作品で、添えられたC・バーカーの絵もふさわしいものです。(きどのりこ
『こころの友』1999.05