だれが君を殺したのか

イリーナ・コルシュノウ作
上田真而子訳/岩波書店刊 1978/1983

おれの墓で踊れ

エイダン・チェンバース作
浅羽莢子訳/徳間書店刊 1982/1997

           
         
         
         
         
         
         
     
 親友のクリストフが死んだ。事故だったのか、自殺だったのか、わからない。たった一人の目撃者だったぼくは、警察に呼ばれた。だけど、ぼくにもわからないんだ、
君がなぜ死んだのか…。
「だれが君を殺したのか」は、十代の少年が感じる「親友」への特別な気持ちと、その愛情が無惨な形で失われたあとの葛藤を描いた、切実な物語。人生や将来について考え、悩み始めていた主人公のマルティンは、冬に転校してきたクリストフに強く惹きつけられ、友達になります。クリストフは、いろいろなことが「見えている」少年でした。「大人の世界は欺臓だらけだ」と見抜いてしまったクリストフは、教師達に対して冷笑する態度を取り、父親とも対立し家出をするなど、しょっちゅう問題を起こします。はらはらしながらも、彼の言う通りだ、と思うマルティン。さらにウルリケという少女が仲間に加わり、三人は楽しい夏をすごし…でも、クリストフは、本当に楽しんでいたのでしょうか? 夏の終わり、彼は死んでいました。クリストフの死後、マルティンは、「本当の彼はどんな人間だったのか」と、考え直すことになります。クリストフが軽蔑していた教師の一人、マイヤーと話をしたマルティンは、マイヤーがそれなりに理想を持った青年であることに気づきます。ウルリケからは、「クリストフが家出した理由は、私が妊娠したと思ったから…彼には耐えられなかったの」と 聞かされます。マルティンもウルリケに魅かれていたのに、彼女はクリストフを選び、それなのに当のクリストフは「あんなこと何の意味もない」などと言っていた…。村のおかみさんが何気なく言った言…「あんたの友だち…あの子は、強くなかった。猫だろうが仔牛だろうが、長生きできない子は見ればわかるよ」…が、マルティンの胸を突きます。
 物語の終わりに、マルティンはここ何日かにあったことを彼に話したい…でも彼は、聞こうとはしないだろう」と考え、心の中でクリストフと決別するのです。
 れの墓で踊れ」もまた、二人の少年の強い緋と、一見優位に立っていた少年の突然の死、という、同じ構造の上に描かれた物語。比較して読んでみると、両方の本が一層面白く味わえます。同じ構造とはいっても、書かれた時代と国、作者の資質が異なるため、まったく違う趣が感じられるのです。
 こちらの二人の少年の間には、はっきりとした恋受関係があり、生き残った少年ハルは、マルティンより、さらに感情的に苦しむことになります。そして「心の友」ハリーの姿を捉え直そうと苦闘したハルが、到達した結論は、「これまでと違う人問になること…みんなどうにかして自分の歴史から逃れること」でした。
 生き続けることは変化していくこと…自分自身が生き延びるためには、どんなに執着しているものも手放さなければならない時がある、という苦い真実を、包み隠すことなく描き出した、力のある青春小説です。(上村令)
「だれが君を殺したのか」イリーナ・コルシュノウ作/上田真而子訳/岩波書店刊(現在品切れ)
「おれの墓で踊れ」 エイダン・チェンバース作/浅羽莢子訳/徳間書店刊
東新橋発読書案内(徳間書店 子どもの本だより 1998/11,12)