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- -夢みたいなふたリの話から、やっとのことで事情をのみこんだ、年とった警官は、さいごに、泣きじゃくるデべソにむかって、やさしくいいました。 「あほやな、おまえも。こんな朝鮮のいいなりになっとったら、しまいにえらいめにあうでえ。気いつけや」 キンが、かっと燃えあ がるような目で警官をにらみつけました。そしてその目をデべソにむけてから、ぱっと顔をそむけました。強くかみしめたくちびるが、目に見えないほどこきざみにふるえていました。 朝鮮人差別への怒りにふるえるキンは、この物語の主人公の一人です。社会的に疎外され、露地うらにおしこめられるようにして生きている子どもたちを、徹底して子どもの目の高さから描いたオムニバス風短篇集です。 家のたたみにはえているきのこを宝物のようにして友だちに見せるチョコという子がいます。家にはえるきのこは貧乏の象徴ですが、チョコにとってはほこらしいものです。露地の子どもたちはうらやましがリます。 露地の子どもたちがみんなねらっている校庭のいちじくを先取りすることに、ガキとタマエは成功します。しかし、「露地の子どもたちのやることが、ほんとうのしあわせに終わるなんて、百に一つもあるか、なしです」二人は口びるだけでなく、鼻も目もはれあがってしまいます。まだうれていないいちじくの汁のせいです。それでも、ガキはへこたれません。「来年はもうちょっとええやつをくうたるでえ」と意気さかん。 おウメは、十二歳になるまで露地を出たことがほんの少ししかありませる。露地の外に見えるのは、おそろしい警察と学校ばかりだからです。そんなおウメが、千人針が兵隊さんの命をすくうと聞いて、名前も知らない兵隊さんのために、毎日露地の外に出かけます。そして、千人針の手ぬぐいをにぎりしめたまま、野たれ死にをしてしまいます。 ほかにも、とんぼつリにつかう絹糸を手に入れるため、ある限りの知恵をしぽってカイコを探しまわるハゲ。 でんでんむしを競馬に見たてて、露地の子どもたちから、ビーだまやメンコをとりあげてしまうタケやん。 この露地うらの子どもたちは、戦争や貧乏の苦しさに、けっして敗けてはいません。与えられた環境の中で、必死に生きています。その強靭な精神は、今の子どもたちに何かひびきあうものを感じさせるだろうと思います。 大人であり、親であリ、そして教師であるわたしは、読み返すたびに新しい思いにとらわれます. ぜひ読まれるよう、おすすめします。 (新開惟展)
解放新聞1987/06/05
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