電話がなっている

川島誠

国土社 1985

           
         
         
         
         
         
         
     
 「いつからそうなったのかはわからないけれど、ぼくのなかにはぼくでないぼくがいる。」そうか、とぼくは思った。そうだったんだ。いつも感じているいらいらっとしたなにか(それはことばではいいあらわせらけないもの)って、じつはぼくのなかのぼくに対していらいらしてて、ぼくにそのことをつたえたかったんだ。ぼくはこの本の最初の 2行にすっかり打ちのめされてしまって、いっきに最後までよんでしまった。 ぼくのまわりの大人たちはみんな本をよめ、本をよめっていうけれど、すすめてくれる本でおもしろかった本になんてめったにお目にかかったことがない(ていうか、つまらない方がずっとおおいんだ。今さら友情だとか努力っていったってうんざりだしね)。もちろんましなのもたまにはあるけど(たとえば『100まんかい生きたねこ』っていう絵本はよかった。でもお母さんは6年生にもなって絵本なんてってゼッタイにいうんだ)、あってもマレだし、なかったって不自由しない。
 でもこの本は別だ。なぜだろう? きっとそれは作者がぼくたちのことばで語ってくれているからだと思う。たとえば「チンポコをにぎっていると、ぼくは安心できる。 (中略)たったひとり、十九階の塾で、ぼくは、チンポコをにぎっている。こうしていれば、教室に負けない。」っていうところ。わかる! ビンビン頭の中にはいってくる。この本がいい本かどうかなんてわからないけれど、おせっかいがキライなぼくがだれかによんでもらいたいって思うくらいだからよほどのことだ。この本をぼくにすすめてくれた二人のおねえさんにありがとうっていいたい。(しんやひろゆき)           
1989.8