どんぐりと山猫

宮澤賢治作・小林敏也絵
パロル舎

           
         
         
         
         
         
         
    


 賢治といえば、その短い生涯をかけた創作のすべては、彼が信仰した大乗仏教による法華経の布教のためだったことは知られています。「未来圏からの風」という言葉でもあらわされる、あらゆる生命の幸福を願うこの宗教的なヴィジョンは、賢治文学を解く鍵ともなっています。
しかし、その<風>の中には、キリスト教の精神の遠いエコーも感じられるのです。賢治は小学二年の時に、内村鑑三の高弟で花巻に住んでいた照井眞臣乳の薫陶を受けました。同じく内村の弟子だった斎藤宗次郎とも、宮澤家はたいへん親しい間柄だった、と弟の清六さんは語っています。
「銀河鉄道の夜」をはじめ、賢治の作品の底流にキリスト教が感じられるのも、なるほどと思われます。賢治童話の中でもっとも親しまれているものの一つ、「どんぐりと山猫」を見てみましょう。
 一郎にきたおかしなはがき、 「あなたは、ごきげんよろしいほでけっこです。あした、めんどなさいばんしますからおいでくなさい。とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ拝」や、どってこどってこと楽隊をしているきのこたち、不思議な馬車別当や陣羽織を
着た山猫……。まことに子どもたちへの「すきとおった食べ物」にふさわしい、楽しい童話ですが、誰がいちばん偉いかで大げんかしているどんぐりたちに、一郎は、「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってないのがいちばんえらいとね、ぼくお説教できいたんです」という解決策を出し、どんぐりたちは静まってしまいます。「だれでも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるであろう」(マタイ 二三・一二)を思わせる箇所です。
 賢治作品は多く絵本化されていますが、小林敏也さんの画本は作品の解釈でも際だっています。(きどのりこ
『こころの友』1998.10