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「どれい船にのって」という題名が示すように、非人道的な奴隷貿易を真正面から取りあげた感銘深い作品。本書は物語の下敷きに、メキシコ湾で難破した月光号という奴隷船が使われている。同じく奴隷貿易を扱った優れた作品に、アフリカを舞台にイギリスの反奴隷艦隊と奴隷船の戦いを描いたピーター・カーターの『反どれい船』がある。両作品とも史実を下敷きにして人間の恥ずべき歴史を見つめているが、『反どれい船』の主人公が奴隷貿易を阻止するイギリスの軍艦に乗っているのに対し、本書は奴隷船に乗せられた少年だ。それだけ、奴隷貿易に関わった人間の恐ろしさ、醜さがじっくりと少年の目を通し描かれることになる。本書は、一九七四年のニューベリー賞を受賞している。 ニューオリンズの港近くに住むジェシは、横笛のうまい十三歳の少年。母さんに頼まれてお使いにいった帰り二人のあらくれ男につかまる。つれていかれたのは、月光号という奴隷船の上だった。この導入部に、「スター(星)」という人間にしてはおかしな名前の黒人の女が出てくるが、物としか扱われない黒人奴隷を象徴して印象深い。 月光号の乗組員にはさまざまな人間がいた。金儲けのためなら人殺しもあえてするコーソン船長、冷酷な航海士スパーク、「自分以外はみんなおろか者だ」とすべてに無関心な大工ネッド、気分屋だが暖かいパービス、油断のならないスタウト。ジェシをさらったのはパービスだがジェシはパービスにひかれ、親切にしてくれるスタウトは好きになれない。海にでて三週間ほどしたとき、スタウトの仲間を裏切っても平気な本性を暴露する事件が起きる。船長の卵が盗まれパービスが犯人として鞭うたれマストにつるされるが、犯人はスタウトだったのだ。この個性豊かな乗組員たちは物語の大きな魅力となっている。 船はアフリカ沿岸に着き、奴隷貿易を取り締まるイギリス船の目をぬって奴隷が積みこまれる。これからジェシの仕事、奴隷の元気をたもつため横笛を吹いて奴隷を踊らせる日課が始まる。ジェシはこの仕事がいやでたまらず、一度は拒否して鞭でうたる。恐ろしいスタウトに監視されながら、ジェシは仕事を続ける。 キューバの奴隷商人に奴隷を引き渡す直前、月光号はアメリカの巡視船にみつかる。奴隷を運んでいたのを隠そうと船長は奴隷たちを海に投げこむ。そこへ嵐がおそい、月光号は沈没する。生き残ったのはジェシと黒人の少年ラスの二人だけ。二人は近くのアメリカの海岸に泳ぎつき老人に助けられる。老人は逃亡奴隷だった。老人はラスを北部へ逃がし、ジェシを故郷へ帰す。その後、ジェシは南北戦争では北軍に入る。横笛の苦い思い出は一生ジェシから消えることはなかった。 物語はジェシの一人称で語られ、航海はさながらジェシの心の旅路のようだ。心の中で家や近所の様子を思い起こし空想で船を脱出する所や、ラスと同じように老人に頭をなぜてもらいたいと思うジェシの心の痛みがそのまま伝わってくる。スタウトの正体の観察も興味深い。でも圧巻は、気の毒に思いながらも奴隷を憎むジェシの気持ちだ。「彼らの足を引きずる歩き方も、わめく声も、苦しみそのものも憎かった…スパークの手から鞭をもぎとって、自分でどれいたちをたたきたいくらいだった…みんな死んでしまえばいいんだ。」ー奴隷貿易で一番怖いものーフォックスが言いたかったのはこれではないだろうか。 ポーラ・フォックスは、現代のアメリカを代表する作家の一人で、『バビロンまでは何マイル』や『片目の猫』など一貫して疎外感を心に秘めた少年の内面を描いている。本書でもフォックスは作品に子どもの気持ちを書きたいと言っている。ジェシの気持ちを書くという狙いと月光号の事件が結びついて、奴隷貿易を鋭くえぐる歴史物語『どれい船にのって』ができたのだと思う。(森恵子)
図書新聞 1989年9月16日
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