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古典中の古典ですね。私は大学時代に初めて読みました。 挿絵は『クマのプーさん』のシェパードなので、ついついその印象に引きずられてしまいますが、これは1931版から付いたものなので、横に置いておきましょう。 初読の感想は、「これも子どもの本なのかあ」。石井さんのあとがきを読むと、元ネタはグレアムが息子に語り聞かせたものなので、これほど子ども向けの物語となるにふさわしいパターンはないわけですが・・・。 物語は春の匂いに誘われて地中からはい出てきたモグラが、我が家を後にして、生まれて初めて川と出会うところから始まります。そこで彼は川ネズミと出会い、意気投合する。ネズミはこう言います。「川は、ぼくの世界なんだ。そして、ぼくは、もうほかには、なんにもいらないなあ。川にないようなものなら、ぼくには必要ないし、川の知らないものなんて、ぼくたち知ってたって、しようがないんだ!」。 この驚くばかりに自閉し、完結してしまった言葉(世界観)。良くも悪くも子どもの本のキホンである「成長」がここにはありません。で、そこからネズミとモグラが変わっていくかといえば、そうではありません。むしろその世界からはみ出して冒険するヒキガエルを引き戻し説教をするが彼らの役目なのです。川ネズミは一度、旅ネズミの話しに感動詞、この川辺から出ていこうとすることもありますが、それはモグラによって阻止されます。 成長の否定? かもしれません。だから子どもであることに安住したいと思っている子ども読者が喜ぶ可能性もあります。でも、それより注目したいのは、ここにある「ノスタルジー」です。そう、引用した川辺への賛辞は、子ども時代への大人のノスタルジーなのです。だからこそ、ノスタルジーからはみ出す、本来の子ども性を身につけているヒキガエルは彼らに愛されつつ、彼らの世界を出ることを許されないわけです。だって許すとノスタルジーは崩壊するのですから。 この物語を読んで私は、ああ、子どもの本って大人が書くんだ、という当たり前で、結構怖い事実に気づいたのでした。(hico) TRC新刊児童書展示室だより15 2002.02 |
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