たのしいムーミン一家

トーベ・ヤンソン
山室静:訳 講談社文庫

           
         
         
         
         
         
         
    
 白状しますと、私は未だに主人公の名前を知りません。え、ムーミンですって? でもそれは種族名ではないでしょうか? 『ムーミン谷の彗星』(下村隆一:訳)の中に「もし、命づなをからだにまきつけていなかったら、この世の中から、ムーミントロールが一ぴき、すくなくなってしまったことでしょうね」とありますから。スノークというムーミンと似ているのも出てきて、彼の妹はスノークおじょうさんですから、彼らもまた本当の名前はわかりません。アニメの世界名作劇場では妹は「ノンノン」、新シリーズでは「フローレン」になっています。そして彼はムーミン。そう名付けることで、わかりやすくする必要があったわけです。
『ムーミン童話の百科事典』(高橋静男・渡辺翠 講談社)を開くと、登場人物説明では、「ムーミントロール(mumintroll) ムーミン一家の一人息子」と記されています。ならば「ムーミン」とは一家の総称であり、彼の名はトロールとなるはずですが、トロールは北欧民話の空想上の生き物。普通に考えればムーミントロールとは、トロールの中のムーミン族だと思います。んーん、ややこしい。作者は主人公の個人名を必要と考えておらず、ムーミンパパ・ママも、とりあえず主人公との関係性がわかりやすい呼称として採用しただけなのかもしれません。ムーミン一族の子どもとパパとママ。そうだとすれば、このシリーズは特定の一家族というより、もっと普遍的な集団を描こうとしているのではないでしょうか?
 シリーズの中では短編を除けば最も早く四六年に書かれた『彗星』は、彗星が地球にぶつかるかもしれないという物語(五六年、六八年と改稿されています。それだけ作者の思い入れが強い作品です)。ソビエトからの侵略などの暗い歴史の陰が感じられ、黒い雨が降ってくるなど、核への恐怖も含んでいるように思えます。それでも希望を失わず、種族が違っても仲よく生きていく登場人物たち。主人公は、そのための紐帯となる「子ども」という存在なのです。これは暗い話なので、人気が出たのは『たのしい』から。その中で主人公はまほうのぼうしの作用によって姿形が変わってしまう。親友のスナフキンにさえ、わからない。でも最後に彼の目をのぞき込んだムーミンママは彼を認める。と、元の姿に戻っていく。自分が認められない恐怖と、それでも強い愛で結ばれた者に認められて自分を取り戻せること。一見のんびりほのぼのとした物語の中でも作者は恐怖を持ち込み、そこからの解放を描きます。このシリーズはかわいい物語というよりむしろ、自然の厳しさと人間の愚かさが一杯詰まったものです。そして、主人公を中心とする「子ども」たちの活躍や知恵が恐怖を回避させてくれるのです。アニメの主題歌はかわいすぎ。
徳間書店「子どもの本だより」2002.03/04(hico