ちいさいおうち

バージニア・リー・バートン

いしいももこ訳 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
     
 「別に、子どものために描いているわけじやない」と絵本作家 の某氏。「絵が抽象的で子どもにゃわからん」と絵本評論家の某氏。本屋の店先で「セーラームーン買ってえー!」とさわぐ子ども。
 三人三様、思いの交錯の傍らで、私は、絵本って何だろう? と考える。
 絵本の魅力のひとつは、大人も子どもも楽しめる芸術表現だということ。ところが、子どもが喜ぶということを妙に矮小化し、意識的に「子ども」の存在を無視することで、絵本の芸術性を高く見せんとする傾向があることには、いささか食傷気味。そんなこんなを編集の米田さんと話しているうち、今一度絵本の魅力を問いなおすべく、私たちを魅了し、楽しませてくれる絵本作家たちのことを振り返ってみようじゃないかどいうことになりました。
 絵本といって、まっ先に思い出すのは、やはりアメリカの絵本作家バージニア・リー・バートン。バートンの絵本には絵本の典型を見る思いがします。
 『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』を見てください。コンテによる勢いのある線で、暴走機関車とあわてて駆け出す人や車や動物が、スピ ード感豊かに描き出されます。バートンの絵には、『ムーブマン(動き)』があるのです。彼女は若い頃一時期、高名な劇評家の助手として芝居の場面を速写する仕事をしていたということ。その時に身につけた筆力が読者の気持ちをぐっとキャッチするのです。また、染色デザイナーでもあった彼女特有の装飾性も魅力です。アメリカのフォークアート(民芸美術)に通じる素朴さが、動きのある画面にまとまりと親しみやすさを与えています。
 空間芸術であると同時に、時間芸術でもある絵本。彼女は、その特性を心憎いほど心得ています。例えば『はたらきもののじょせつしやけいていー』の一場面。雪に閉ざされたジェオポリスの町を東奔西走、除雪してまわる「けい て ぃー」を左画面下から左上を経て右画面中央に移動させ、同じ線上に町の動きを細かく描き出しています。
 また、『ちいさいおうち』『せいめいのれきし』では、季節の移 ろいの中で変化する家と暮らしぶりを同じ視点から何画面も重ねて描き、美しい映画を見るようです。
 テキストの字体やレイアウト、表紙、裏表紙、見返し、タイトル頁のデザイン等への配慮もいたれりつくせり。バートンは、絵本をすみからすみまで大切に考え、丁寧に描きました。だからこそ、私たちは「見返し」からすぐに物語の世界に入っていけるわけです。
 読者であり、時には絵本の主人公でもある「子ども」の気持ちを捉える腕もまた見事です。うちの長男は、何と言っても『ちゅうちゅう』が好きでした。繰り返し繰り返し読んでも飽きることなく、夢中になっていたものです。幼い頃少々ひ弱だった彼には、「ちゅうちゅう」の暴れぶりが痛快だったに違いありません。この絵本には、子どもの幼い反抗心や自立心が実によく描かれています。
 バートンは二人の息子のために、そしてまた彼らを良き批評家として絵本を作りました。どうやら、読者の子どもたちは、そのあたりのことがちゃんとわかっているのでしょう。
 バージニア・リー・バートン。彼女の絵本の最大の魅力は、作品にこめられた精神にあると言っても過言ではありません。自然への感謝、労働の喜び、日々のささやかな暮らしを大切に子どもに受け継いでいこうとする素朴で敬虔な精神。人類と歴史の発展を信じる健康的なおおらかさ。そして、善意。人間が昔から大切にはぐくんできたものが、彼女の絵本世界には今も生き 続けています。だからこそ、時代を超えて彼女の絵本が読みつがれているのでしょう。
 町のめまぐるしい開発に取り残され忘れ去られた小さな家が、その家を愛する人々に見いだされ、自然の残る郊外に移築されて再び命をとりもどす『ちいさいおうち』。この『ちいさいおうち』が、バートンの絵本としてはじめて日本に紹介され、多くのファンを喜ばせたのが一九五四年、母国アメリカで出版されてから十二年後のことです。
 時まさに高度経済成長期の入り口、『経済白書』が「もはや戦後ではない」と告げた一九五六年を目前にした頃だったというのも、興味深いものがあります。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「もっと絵本を楽しもう!」1995/3,4