小さい水の精

オトフリート・プロイスラー:作
大塚勇三:訳 学研刊 絶版

           
         
         
         
         
         
         
    
 お話は、水車小屋のそばの池で、小さい水の精が生まれた日から始まります。初めて息子を見た水の精の父さんは言います。「手には水かき、緑色の髪に緑色の目…ちゃんとした小さい水の精だよ!」お誕生を祝う会には、あちこちの小川や池に住む水の精たちや沼男が招かれ、ごちそうは「コウキクサのスープ…藻のあぶったのをつけあわせにしたさかなのたまごやき…カエルのたまごのシチュー、塩づけのミジンコのつけあわせ」などなど。そして大人たちが葦笛に合わせて踊ると、小さい水の精も、一人前に泳ぎ始めました。
 初めてこの本に出会った小学校一年生の時、この初めの何章かを怖いような惹かれるような、不思議な気持ちで読んだことを覚えています。それまで聞いたことのなかった「水の精」という存在自体、何か妖怪の仲間みたいに思えたし、姿形も食べる物も「ヘン」だし、お話にぴったり合ったウィニー・ガイラーの絵がこれまたすごい迫力で、さまざまな装束の水の精たちがこちらに迫ってくるように思えたのです。でも、一見もっとも怖そうだった「沼男」が、「ぼうや、おまえが明るい元気な子になるように!」と大声で言ったとたん、不思議な池の底の世界はなじみ深いものに思えてきて…次の章からは、家の外の世界を夢中になって探検する小さい水の精の気持ちに、すっかり引き込まれていました。
 この本の魅力は何といっても、水の中の不思議な世界も外の人間の世界も、すべて初めて見る物ばかり、という小さい水の精の驚きに満ちた視点が、鮮やかに描かれているところです。いざとなれば両親が助けてくれる、という安心感に守られて、思う存分探検し、冒険してまわる小さい水の精の、生き生きしていること!
年寄りでちょっと気むずかしいけれど、本当は優しいコイのおじさん。意地悪で不気味なヤツメウナギ。池の外で回っている粉屋さんの水車。小さい水の精は、水車に水を送り込む樋を滑って遊びます。仲よくなった人間の子どもにわけてもらった、たき火で焼いたジャガイモ。外で遊びすぎて「足がかわいて」、病気になったこと。そして、初めて連れていってもらった「銀色の夜の世界」で見た、お父さんの竪琴に合わせて踊る形の定まらない霧の精たち…。
 今読み返してみると、池のまわりの人間の暮らし(粉屋さんの一家が日曜ごとに晴れ着を着て教会へ行く、とか)や、水車のようす、月夜に竪琴を奏でる水の精の伝承など、ヨーロッパの子どもにはなじみ深いものがいろいろ登場していることがわかります。(数年前に初めてドイツで「本物の粉ひき用水車」を見た時、私は「なるほど、水の精はここを滑ったのね!」と言ってドイツ人の友人に笑われました。)けれども、ヨーロッパの文化をよく知らないたいていの日本の子どもは、運がいいことに(!)、見る物すべてに目を丸くする小さい水の精と、ぴったり同じ気持ちで物語を読み進んでいくことができるのです。(上村令)

徳間書店子どもの本だより2001.05/06
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