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『闘牛の影』は、スペインのアンダルシア地方を背景に生れた作品である。作者のM・ヴォイチェホフスカは、三度の訪問を通じてスペインの国がらと国民性に親しみ、人を愛するがごとくこの国に魅せられていったという。スペインを愛する気持は、ポーランドを祖国とする作者の母国愛と重複し、両者に共存する過去の時代への誇りと他国に支配された日々への想いは、そこに住む人々との感情面での共鳴度をたかめているようである。ヴォイチェホフスカは、冷たい、人を罰するほどの厳しい力を秘めたその土地で、人間が哀しさに浸る時間と空間を見出す。「人々のみなりは一様に貧しく小柄で、一見非常に似かよった容貌をしている。ただ、一人一人の眼をじっくり観察する力があれば、そこにあの『ハムレット』や『リア』や『ジュリエット』がひそんでいることに気付くにちがいない【注】。」こうして、作者の眼は約二か月アンダルシアの人々にそそがれ、やがて一人の少年に視点がすえられると、その少年の心の動きが荘厳な調べを伴って描き出されたのである。 『闘牛の影』は、英雄的な闘牛士であった父親の後継者として期待される少年の心の成長を取り扱っている。 スペインにおける五つの凶事――戦争、病気、洪水、飢え、死――の中で、人々が最も恐れたものは死である。闘牛場は、この“死”と一人の人間とを対決される場であった。武器となる角を持った闘牛は“死”に一体化させられ、牛が闘牛士の手で殺される時、死は壊滅すると考えられるのである。“死”に勝利する闘牛士が英雄として人々の信頼を得、奉られるのも当然のなりゆきといえよう。時の移りかわりとともに必然性をたかめるのは、この英雄亡きあとの継承者――新しい英雄の誕生――である。人々は、以前の英雄の影が消えさらぬ前に新しい英雄を求めはじめる。やがて創りあげられた英雄像は神秘化された虚像となり、人々のあいだに深い影となってさしこむようになる。 英雄の息子マノロの成長に感心が深まり、英雄再現への人々の切実な想いが増大してゆくのも無理はなかった。十二歳をむかえ闘牛士としての晴れの舞台も間近い。マノロの生活は、何の疑問もなく闘牛士になる日を中心に動きを止めないが彼は、闘牛士の教育を受けはじめた段階でそれにはまったく不向きなみずからを直視せざるをえない。やがて熱意や勇気の決定的な不足を察知した少年は、闘牛士への道を断つ決心を固める。一方マノロの眼に焼きついて離れない光景は、激痛にうめく闘牛士を助けようとして懸命に治療する老医師の姿であった。少年はその医師の底知れぬ勇気と誇りに尊敬の念をいだくようになる。闘牛場に立つ日を明日にひかえて、マノロの母親は英雄であった父親について静かに語るのであった。父が名誉を重んじる勇気ある人であったことに加えて、彼がみずからの意志でその人生をきずいた点を母親は強調する。誰からも強いられることなく、父はみずからのためにその道――闘牛士の道――を歩んだのであった。その日、闘牛場へ向かうマノロの心には確固たる決心がひそんでいた。「医者になりたい。」 少年はその人生で闘牛士への道を捨てたのである。はじめて心の底から父親を誇りに思ったマノロは、確かな足どりで自分の選んだ道を歩きはじめる。父の英雄的な生涯は、マノロの生き方の一部にその根をおろしたのである。 ヴォイチェホフスカは、一九三九年ドイツ軍の侵略に伴いポーランドを離れ、ヨーロッパを転々とした後、四二年にアメリカにわたった。作家として出発する前に実に様々な職業を経験しているが、メキシコでは闘牛士の訓練を受け、のちにヘミングウェイもコンラッドも彼女ほど闘牛の知識をもちあわせた女性が他にあるだろうかと驚嘆の意を表したといわれるほどであった。こうした体験をヴォイチェホフスカは豊かに作品の中へ結晶させてゆくが、それは彼女自身が模索し葛藤し選んできた道でもある。 『闘牛の影』は、全編マノロ少年の心の動きを追う形でつらぬかれる。大人社会のつくりだした「英雄概念」は「恐れるものなし」という意味あいでマノロの心にくいこんでいる。自己の臆病を克服する、それさえ乗りこえれば立派な闘牛士に――英雄への道――が開けると信じているのである。英雄を畏れる気持とあこがれる感情が交わる中、マノロの心には使命感が生れ、訓練をつみ知識を蓄えたある種の自信すらわいてくる。しかし闘牛士としての英雄像はマノロの心の中で失墜していたのだった。自己の最高峰に到達せんがため勇気と誇りをもって意志をつらぬいた父親の姿を知ったのである。マノロは人生の分岐点で、自分の意志の尊重と未知なる世界に足を踏みこむ勇気の重要性を知る。ヴォイチェホフスカは、自己をあざむくことなく選択する力を少年に強く求める。そうして歩みはじめた道に備わる勇気や誇りは、底力となってその人を支えてゆくと考えていたからであろう。 五〇年代後半にその芽が発したといわれるアメリカ児童文学の内なる変化が、この『闘牛の影』をえて定着したといわれる。日常的な次元で明快に子どもの世界をとらえることが本分とされていた時代の中で、子どもの苦悩や絶望を正面から正視し、物語の中で精緻に描いたことは画期的なことであったといえるだろう。飾り気のない文章は、素朴な中に荘厳な雰囲気をかもしだし、単純なプロットとそこに登場する人物を見事に浮きぼりにして示す。 ヴォイチェホフスカは一九六五年にこの作品で年間の最優秀賞のニューベリー賞を受け、六八年には“Tuned Out”で麻薬と少年の問題を提起した。しかしこれには作者の性急な態度が顔を出し、作品としては風俗小説化を脱しきれなかった。その他に約十冊の著書があるが、この『闘牛の影』が彼女の最高傑作と考えられる。それを裏づけるように作者は、自分の心はスペインのアンダルシアに、はるかポーランドは望郷の地であり、生活する場をアメリカに求めるという。アメリカの少年もスペインの少年も、異なった状況で煩悶し手さぐりする中で自己主張を達成するのである。(島 式子) 【注】一九六五年 ニューベリー賞受賞記念論文
世界児童文学100選(偕成社)
テキストファイル化岩本みづ穂 |
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