東京トンガリキッズ

中森明夫
JICC出版局

           
         
         
         
         
         
         
     
 「あらゆることは書かれ、あらゆることは語りつくされた。もう新しいものなどない。残されたもの、それはコピーにすぎない。コピーのコピー……合わせ鏡の地獄。もはや、あらゆる物は鏡にすぎない。鏡を見てわかった。僕はいつも誰かから見られていると思ってたんだけど、実は僕に見られていたんだね」
 こんなふうにして二八の短編が始まる。『サラダ記念日』が今の若者の手に短歌をとりもどしたとするなら、『ライ麦畑でつかまえて』を今の若者の手にとりもどしたのが、この短編集。新聞を一面使ってのっけてみたいほど魅力的な短編がいくつかあるけど、なかでも「帰ってきたローリー」なんか最高にいい。
 「二四本ひだスカートをひらめかせてガッコを飛び出した」私はローリーといっしょに新宿をさまう。「いまだにおニャン子が毎週新しい女の子を製造してるように、私達は誰もが『今週の女の子』で、そしてきっと来週には読み捨てられた『フライデー』みたくダスター・ボックスに投げ捨てられてしまうだろう……気がついたら私達、ビルの屋上にポツンと立っていた。岡田有希子も遠藤康子もハイジャンプした7階建てビルの屋上……すっかり行き場を見失ってしまったみたい……ねぇローリー……いったい私達どこへ行けばいいっていうの」
 ローリーの答えがまたいい。(金原瑞人
朝日新聞 ヤングアダルト招待席 1988/02/14